買い物バイク
あおば

    買い物バイク(副題 アーマオールかけて)


 現在、バイクカバーの下で、眠っていますが、数年前までは、買い物バイクとして、働いていました。 
 ところが、走行中急に変速機から擦るような異音が発生して不安になりましたので、乗るのを止めました。代わりに購入したのが、GS125Eです。
 使わなくなると衰えるのは人間も機械も同じで、しばらくしたらエンジンがかからなくなりました。そのうちにと思っていたらアクセルが動かなくなりました。捨てるつもりでチャンスをうかがっていたのですが、バイク引き取りますというアナウンスが聞こえるのはたいてい日曜日の午前中で、朝寝をしているととても間に合いません。また、3月は何かと忙しく、気がつくと4月になっていて、そのうち税金の納入通知がきます。仕方ないので1年分払うとすぐに廃車にするのも惜しくなり気がつくと翌年の4月になっている。

 そんなわけで未だに我が家にあるのですが、このところ異変が生じました。”安価で譲ります”と書いておいたら、たまにメールが来ます。”ちょっと変わったレトロな車が乗りたいが、調子はどうなのか”と。仕方ないので正直に、変速機故障でエンジンかからない、直せば直るだろうが保証はできない。そう返事するとそれで終わりになります。(あたりまえ)

 ところが最近レストア出来る方からメールが来ました。それも2人。近くの方ではないので、今後どうなるか分かりませんが、もらわれてゆくかもしれません。そこで、久しぶりにシートを除けて陽の目に曝したところ、案外しゃんとしておりましたので、水洗いして、錆びを落として、アーマオールをかけて艶をだして、かなりみられるように致しました。

 そこまでやるとやっぱりエンジンの音を聞いてみたいと次週の日曜日、急に思い立って、キャブレターを分解して、ガソリンタンクを洗って新しいガソリンを入れて、キック一発、エンジンは勿論かかりません。火は飛ぶし、ガソリンもあるんだからと、空キックを何回かやっているうちに、忘れていたキックの感覚を取り戻した頃、エンジンが実にのどかに当たり前の音をしてかかりました。




 エンジンがかかると走ってみたくなるのが順序です。変速機の故障ですから最悪の時は後輪ロックするだけさと、気を大きく持って、ヘルメットをかぶりました。
 いざ発進とクラッチにぎってローギヤに入れたところエンスト。クラッチが固着しておりました。6年間も動かないのですから考えてみれば当たり前。サードギヤにして押してもクラッチが離れません。クラッチの方はあきらめて、走らせることにしました。ニュートラルで転がしてクラッチ切らずにローギヤにいれるわけですが、エンジンの調子も不安定なので思ったよりてこづって、それでも何とか走り出す。エアクリーナーを外してあるので吸気音のすさまじいこと。音だけならば良いのですが、その影響でガスが薄いようでアクセル開けると失火してエンストする。何度もエンストして、押して飛び乗ってとそんなことをしているうちに、クラッチが切れるようになった。気がついたらブレーキもちゃんと利く。ヘッドランプも点灯するし、ニュートラルランプも点灯している(バッテリがちゃんと充電している)。

 エンジンが暖まってきたので、後ろを見たらうっすらと排気煙も出ている。オイルも回っているようなので、近所迷惑とは思いましたが、近くを一回りして参りました。サードギヤまでしか入れませんでしたが、125ccとはいえツーストの単気筒車はすごい迫力。音も信じられないくらい大きいし、最近の優等生車と比べるとあくの強いこと。これらはほとんど欠点と言えますが、扱いにくさといおうか、バイクの意志みたいに感じられて、面白く感じました。それで現在の写真と音を載せてみました。
1998.10.25

写真



?♪♪こんな音です!(走行音)CD音質  (mpeg1仕様 99.05.30)
http://members.jcom.home.ne.jp/saoba/bike/i_bike/dt1253.mpg

本日、上述のバイクを譲渡致しましたので、これも懐かしい思い出になりました。
2006.06.18




備忘
 DT125は、1968年にヤマハトレールDT−1の弟分、AT−1として登場、その後AT125と呼称されておりましたが、250ccがDT250となりましたので、ついでにDT125となったようです。ご承知のように、ヤマハはアルファベット順にAから名前を付けておりまして、最初のYA1は125ccでしたので、125cc車はAが付いておりました。Bは130cc?、Cは175cc、Dは250cc、Eは256cc、Fは50cc、Gは73cc?、Hは90cc、Iは?、Jは60cc、Kは80cc?、Lは100cc?、Mは305cc、Pは73cc?、Rは350ccてな具合です。70年代のはじめまではそうなっていたようですが、650cc車の650XS−1登場の頃からアルファベットと排気量との関係が定かでなくなり、そのうち最初のトレール車DT1がDT250などと呼ばれるようになり、排気量は数字で示されるようになりました。同時にAT125はモデルチェンジを機にDT125となりました。この車はヤマハ125ccトレールの2代目です。(3代目からは水冷・モノクロサスとなりました。マイナーチェンジを含めれば5代目?)


クイズ1
 ヤマハのDT1は日本初の本格トレール車です。TD1は250cc市販レーサーです。
ではYDTとはどんな車でしょうか。

クイズ2
 YDSはヤマハの代表的250ccスポーツ車でした。256ccにしたYESも同時に製造・販売しておりました。256ccのYESは性能的には250ccのYDSと変わらないのに、自動2輪車となり、免許試験もむずかしく、車検もあります。とても売れそうにありません。
では、そんな車をなぜ販売したのでしょうか。







クイズの答え
1.
スーパースポーツ車YDS?の車体に実用車YD?のエンジンを載せたツーリング車です。(あまり評判にならなかった)

2.
当時250ccの軽2輪車は中速車で制限速度が40Km/hであった。256ccの自動2輪車は高速車で制限速度が60Km/hとなり、普通乗用車と同じなので一緒に走っていてもスピード違反にならない。また、当時高速車は道路の中央寄りを走れたので、まことに格好良かった。(しかし、あまり売れなかった。)





未詩・独白 買い物バイク Copyright あおば 2006-06-18 17:09:18
notebook Home 戻る
この文書は以下の文書グループに登録されています。
モーターサイクル(バイク)