地霊
岡部淳太郎

ふうふうと
息をのぼらせ
この坂道をのぼってゆく
季節は溶解し
逆転し
暗転し
眠るものの肌を焦がした
ふうふうと
息をのぼらせれば
ふうふうと
あえぐ空 または地

(私はあなたが来る前からここにいた)

思い描いてきた
龍の鎖骨と髭
落ちてきた鱗は宝石となって
静かにこの地にとけこんできた


  左手にヤビツ峠が見える。名古木ながぬき三廻部みくるべ
  少し離れれば寄。やどりきこの近辺には奇妙な地名が
  多すぎる。地は無数の山に囲まれ、息を失っ
  てしまいそうだ。かつて弘法大師空海が訪れ
  たという伝説が残る土地の霊は、暴走する自
  家用車のタイヤの下で窒息しているか。この
  地の喉を切り開くが良い。清冽な水を流しこ
  んで、ふたたび昔日の歌をうたわせるため、
  すべてを開いてみせるが良い。だが、何とい
  うことか。ああ、この川には水がないのだ。


それぞれの
奇怪な名前の下で
霊は目醒めるだろう
逆転する
暗転する
この世の法則を
過ぎ去った年の暦に書き
しるして
眠るものの肉を焼くことになるだろう
ふうふうと
息をつないで
ふうふうと
数珠つなぎ
ふつふつと
のぼる息
地の裂け目から
かつての湧水のように

(私はあなたが来る前からここにいた)

そう
たしかに いた
人間の事情よりも
霊の日課が優先されるべき
非常から
皿の割れる角度で
腥い胃液の破裂する音が
聞こえていた


  右手に大山おおやまが見える。本町。落合。今泉。ご
  く当たり前の地名にも、当然のことながら、
  そこに住む人びとと鳥獣が存在する。切開さ
  れた山野の草の嘆きを背負って、新しい物語
  はどこまで伸びてゆくことが出来るだろうか。
  清冽な水はもはや塩の臭いを湛え、明るい喉
  を潤している。城址も朽ち果てて久しく、乾
  いた傷口として黙りこんでいる。すべての扉
  を閉ざして人びとは暖まる。そして、何とい
  うことか。ああ、この川には水がないのだ。


ふうふうと
息を目醒めさせ
ふうふうと
風とともに流してゆく
この坂道の下に
眠るものの声を
墓石よりも遠い声を
乱れた歯並びの隙間に書き
しるして
地のことわりは
逆転するだろう
暗転するだろう
骨でさえも炙って
ふうふうと
息をのぼらせれば
おお
桜吹雪!
季節は順応する

(私はあなたが来る前からここにいた)

聞き逃してきた声
耳朶の不足を補うもの
それでも人は
地境を踏み
地脈を踏み
地の霊の 喉を踏み
歩いてゆく
水の溜まる関節
その曲り角に立って
ようやくつぶやく

私はあなたの後からここに来たのだ



(註)

第一の散文パート

「名古木」「三廻部」「寄」は、それぞれ「ながぬき」「みくるべ」「やどりき」と読む。前者ふたつは神奈川県秦野市の地名。後者ひとつは秦野市に隣接した松田町の地名。「ヤビツ峠」は秦野市内にある山。

第二の散文パート

「本町」「落合」「今泉」も同じく秦野市内の地名。「大山(おおやま)」は秦野市、伊勢原市、厚木市と三つの市の上にまたがる山。「城址」は秦野市内にある波多野城址のこと。なお、ふたつの散文パートに共通して登場する川は、秦野市内を流れる水無川である。




(二〇〇六年四月)


自由詩 地霊 Copyright 岡部淳太郎 2006-06-15 23:31:37
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