「 やかん。 」
PULL.
ぐらぐらと、
煮え立っていた。
ぐらぐらと、
煮え立っていた。
ぐらぐらと、
煮え立っていた。
やかんは、
気が付くと、
空になっておった。
なみなみの水は、
湯から蒸気となって、
宙に飲まれて、
しもうた。
うぬぬ、
隣の家のケトルのように、
ぴゅうと鳴けば、
気付くものを、
この未熟やかんめが!。
睨み付けると。
己を恥じておるのか、
やかんは頬を赤くして、
しゅうしゅうと、
吐息を漏らす。
じいと、
舐めるように、
見詰めると。
やかんは、
さらに赫くなり、
恥じ入りおる。
あれは此奴であったか。
時折、
ここの台所で、
熱い視線を感じると、
想うておったのだ。
けれどその主が、
やかんであったとは、
面妖が過ぎて、
想像もせなんだ。
またどこぞのおんなが、
食器棚の隅に、
潜んでおるのかと、
楽しみにしておったのに。
それがやかんとは、
ああ口惜しい。
しかしである。
じりじりとした、
あの熱い視線。
あれには懸想が籠もって、
おったように想う。
はて、
やかんの性別などと謂うのは、
てんで解らぬのだが、
やはり入れるものであるからして、
おんなであるのだろうか。
いや待て、
蝸牛の例もある。
ここは慎重に考えた上で、
判断せねばなるまい。
この無骨な注ぎ口は、
おとこのあれに見えぬでもない。
だが本体の見事な曲線は、
おんなの尻を連想せずでもない。
うむ。
蓋の形状は、
おんなの乳房に似ておる。
ではあのぽっちは、
乳首と乳暈か。
それなら得心がいく。
どおりでいつも、
摘み心地が好かったはずだ。
決まった。
やかんはおんなである。
そうと決まれば、
遠慮も躊躇も、
へったくれもない。
このやかんめが、
存分に辱めて、
責めてやる。
視線を戻すと。
にゅると、
やかんは蕩けて、
おった。
了。