数学ってどの言語でも常に翻訳でしょう。いちばんオリジナルに近いのは、全部を数字だけで表す、ゲーデル数だと思うけれど、
それでもやっぱり翻訳には違いない。だよね、モーリー?
数学は形而上のもの、イデアのようなものだから、日常で使う言語に翻訳しなければならない。
だから日本語をよ〜く知っていないと、いずれ破綻を来す。または曖昧になる。ということかな〜。
よく「数理系」って言われるけれど、科学が言語と数学を利用しているだけで、数学そのものは分類すれば「文系」だよね、完全に。
解析はしても観察はしない、よね? 実験もしない。
日本やほとんどの国の算数のテストって
7 + 8 = ○
だよね。どこの国のテストだったか忘れたけれど(イギリスだったかな?)、テレビのCMでやってた別のかたち、
○ + ○ = 15
ってやつがある。これ、いいよね。正解がたくさんあるの。技能プラス創造。
それから、アメリカの会計士の試験って、たとえば計算問題で、答えがあってなくても、論理展開が「まっとう」なら、
点数くれるの。さらに採点基準や、どの部分で減点されたか、とかすべて教えてくれる。その際、本人が反ばくし、
かつ試験委員を論破できたら、点数が上がる。それで不合格が合格になる、こともある。
出題者と解答者の上下がない。対等なの。さすがアメリカ。
何を言いたいかというと、何かを記憶しているかどうかは、個人の能力には何の関係もない、ということ。
大事なのは、ある前提と、ある束縛(ルール)のもとで、他人をうなづかせられるかどうか。例えば論破すること。
もちろんそのためには、知識は必要最低条件だけど。前提ということでもひとつ、言語学習と数学には、
もうこれ以上さかのぼっては問えない、始原の前提が存在する
ということ。
英語の学習もまったく同じ。相手を論破できるスピーカーを作るようにすればいいんだ。スペルや文法はあとでいい。
算数と英語学習は、日本語を深く見つめる良い友達だと思う。このふたつをしっかり学ぶためには、
日本語を知らなければいけないし、日本語の素晴らしい長所と素晴らしくない短所が見えてくる。
僕が以前、日本の学力不足の要因のひとつは数学をちゃんとやらないから、というようなことを言ったのはこんな意味でした。
さて、「前提条件」「意志疎通」「論破」「ルール」、これで(少なくとも僕が)見えてくるのは、
「社会の中で生きる」
ということ。社会そのものだと思う。つまり国語、数学、外国語学習は、社会生活の雛形を教えてくれるものだ、と思わずにいられない。
ということで、日本の社会が壊れかかっている原因が分かってしまった。社会は機能していない。ただの集団だ。
僕らの世代と比較して、あきらかに知識が少ない。そして社会で生きるための雛形をちゃんと教えてもらえない。
で、僕たちがやらなければいけないことはやっぱり、モーリー、「教える」ことですよね。
Kuri, Kipple : 2004.02.19
さるBBSへの書き込みにほんの少し追加。モーリーはT大学の先生です