突発即興詩会ログ
片野晃司

6月4日リアルタイム会議室Aにて。

遊羽 [1:32:31]
けんご→遊羽→片野→oldsoup→あをの→焼石→翔太郎(敬称略)

けんご [2:05:39]
        雨垂れ(題:翔太郎)

我が家の猫の額ほどの庭に
雨が降ると
決まって聴こえる雨音がある

雨の庭にはバッハのイギリス組曲がよく似合う

でも5月はまだ霧雨だな
窓ガラスを緑色の水滴で染め
アコースティックなギターがよく似合う

雨垂れも
隣に誰か聴いている人が居ると
寂しくはないな

雨の季節が来ると
僕の銃身も鈍る
けれど雨垂れの音は
訳ありの慰めの音だ

子供の頃庭に葬った
雨の日に拾った仔猫の
墓があの辺りだな

片野晃司 [2:08:48]
電信柱が折れた朝(題:遊羽)

ある朝
電信柱が折れているのを見た
薄墨色の二本の線が
カーブの外へ逸れていき
電信柱の前で少し乱れて
そこで終わっている
空き瓶に挿した花
煙草の箱

電信柱はすぐに立て直され
そこへ続く二本の線は消え
花を挿した空き瓶は
雑草に埋もれて
今もそこにある

oldsoup [2:11:10]
「蛇口の水」(題:片野)

静かに
泥を避けながら
動物ではなかったものを受け取る
わたしの首はちょっと曲がって
上を向くんだ
やさしく産むために
ポケットの中の蛇口を探りながら
第三の手を意識する
冷たいな
ここがどこか分かってる?
指が絡み合う
はりつめた蛇口
はりつめた用水路
はりつめた、歩道の設けられた
車で護送された
病院には行かなかった
水をください
ください水を
かみさま
かみさまのなまえをわたしは
(水が出てくる)
知っているのか
大抵上の方はいつも
薄汚れた天井
の焦点の合わないタイル?
いや、わたし
いつかぶっ倒れて
もうトイレの床にはいつくばり
何食わぬ顔で
隣の夫人が近付いてくるのを
黙って見ているしかない
ただの蛇になって
いつか脳幹のあたりに
便利なものを取り付けられている


あをの過程 [2:13:34]
   クリームスワロー(題:oldsoup)


クリームスワロー、梓弓、
音聞く海に、大船の、
頼りし春も、ぬばたまの、
黒き翼もなかりけり。
黒き翼もなかりけり。

春になるから 帰って来るのだろうか
夏が来るから 帰って来るのだろうか
空をよぎる飛行機の影
丘に立ち並ぶ風力発電の羽
起きるわたし
消えていない電灯
誰かが誰かと会話している
テレビがついている 誰もいない居間で

春になったら 帰って来るのだろうか
夏になる前に子が生まれるのだろうか
鳴き声は聞こえない 今日も

 「 昨日札幌では雪が降りました 」

白いということは無を象徴していると一般的には信じられているが、そのことには疑問の余地がなお残っている。白の色の中に何も残っていないと信じられる者どもは幸いである。彼らはいかなる書物を裏返すこともなく、黒く残る活字の上をスーパーマリオよろしくBダッシュで跳び、飛んでいき、そんな24ビットの空から訳知り顔で曖昧な接吻を人肌の上に垂れ、垂れ、この星では我らの数え知らぬ雨だれの川になり瀑布となって山から落ちていきその下の渓谷を鋸歯状に刻んでいくことを空しく信じないばかりか、しかしそれがかみ合わせることのできる上顎がないこの空のことを無垢だと信じながら、白い雲を思い出と言う渇いた精液に見立て、いまだに桃井に射精する。今日も録音された声で笑い、二進法の言葉を信じつづけ、その結果として、青年と呼ばれるひとつの述語をながながしい午寝の中に殺してしまうだろう。

クリームスワロー、梓弓、
音聞く海に、大船の、
頼りし春も、ぬばたまの、
黒き翼もなかりけり。
黒き翼もなかりけり。

 僕が出した手紙が帰ってきた。真っ白な手紙の上に刻んだはずの文字が、本当にあの時、自分の力によって押し付けられてできたものか、今は信じることはできない。つばめはこの春もやってこなかった。日本は段々暑くなりつづけている。折れ曲がった封筒を開いて取り出した、自分からの手紙は、「あて所に/尋ねあたりません」という赤い印章を押されて、クリーム色になっていた。どのように折っても、あの鋭くあたたかい翼には、なることもなく。

 「 昨日札幌では雪が降りました。四月なのに、冬に逆戻りしたような一日でした 」


焼石二水 [2:19:16]
「薄野」(お題:あをの過程)

オレンジに透けるワーゲンを止めて
西日に透ける物思いの午後を
解けるまで放し飼う
仮縫いの境界線
二人にはそれだけの理由が有って
過程でそこへ
銀色の
たどり着いたそこで

言い訳はしませんでした
諦めてはいませんでした

秋色は銀の色
なびいても揺るがずに
この午後を境に
薄は受け止めて
風に揺れているのです
(別れ話をしました)

明日はまた月曜日
物思いの先で立ち上がる
放し飼いの昨日よりもずっと
透けている私の
日常は窓を射す



遊羽 [2:23:18]
「看板(お題:けんご)」

二つに岐れた細い路地の片方のどん詰まりに
古ぼけた目玉の看板があるのです
目玉の看板ですから目医者が近くにあるのでしょう
しかしそこは路地のどん詰まり 前も左右も日本塀ばかり

間違えてこゝまでやって来た僕は
いつだって目玉に睨まれてはすごすご引き返します
一度で道を憶えればいゝのに
いつも目玉に睨まれてはすごすご引き返します

看板の目玉が片目で見続けたこの日本塀の路地に
やるせなく雨が降り続けると
まるで看板が泣いているようでやるせなくなるのです

二つに岐れた細い路地のもう片方に
もう一つの目玉の看板があるそうですが
近くに目医者など どこにもないのです



翔太郎 [2:26:21]
「油断した金曜日」(お題:焼石二水)

読みすぎた木曜の夜

連なった時間の欠片

反射する過去と朝が

零れ落ちて戻せずに




自由詩 突発即興詩会ログ Copyright 片野晃司 2006-06-04 02:48:04
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