自分のための幸福論
腰抜け若鶏
昔は、どうして俺はこんなに不幸なんだろう?といつも思っていた。
すべてが思い通りにいかない世界が憎くてたまらなかった。
今は、そうでもない。思うに俺はこの世界というものを知らなすぎたのだ。
自分の頭の中にある幻想を(それを理想と言うのかな?)
この世界に無理矢理当てはめようとしていた。
もちろん俺はこの世界のすべてを知ってるわけじゃない。
けれど大抵のことは思い通りに動かす術を心得ているつもりだし、
不可能なことは初めから望まないようにしている。
おかげで最近、絶望というものを味わわなくなった。
一見最悪に見える事柄でも反対側に思わぬメリットが生まれていたりするものだ。
その逆もあるから、至福という気持ちもしばらく味わっていない。
人生の起伏にいちいち感銘を受けたり、泣いたりわめいたりできるのは若者の特権だ。
俺もまだ若いからときどき刺激が欲しくなる時はある。
でも色々無理をしたせいで神経がもうすっかりすり減ってしまった。
俺はできることなら静かに穏やかに暮らしたい。でもたまには刺激が欲しい。
しかもできることなら、辛かったり苦いものではなく、甘くとろけそうな刺激が。
生き急ぐのを後悔したことがないわけじゃない。
でもおかげでどうすれば自分が満たされるのかを知るに至った。
自分のための幸福論。
世の中にはこの知識が得られなかったために、
人生に飢えと渇きを訴えながら死んでいく人たちがたくさんいる。
悪くない。
他人に何を言われようと、
俺は自分の人生がまんざら捨てたもんでもないと感じている。
心から。