長い告白
Rin K

いい友達関係にはそろそろうんざりしてきた。僕は彼女が好きだ。自分から告白するのが恥かしくて、僕が何気なく口にした言葉が、彼女の長い告白を引き出した。長い長い、哀しい告白。僕にはどうすることもできなかった。何をいっても薄っぺらく聞こえそうなのは、僕が厚みのある人間ではないからなんだと実感した。

「ねえ、僕のこと好きなら、告白してよ。そうしてくれたら・・・カナリうれしいかも。だって脈ありな気がするもん。」
彼女はきっと、ゲラゲラ笑い出すだろう。そしてきっと僕の背中をたたきだすに違いない。ところが彼女の反応は想定外だった。僕は自分の間の抜けた言葉を引っ込められずにいた。そんな僕を見据えながら、彼女は複雑な、しかしにこりとした表情で言った。
「そうできるなら、とっくにしてる。今の私は、・・・どうしてもためらってしまうの。そうするよりエネルギーのいる告白からしないといけないから。」
彼女の言葉は明らかに僕に覚悟を求めていた。低く落ち着いた声なのに、いつになく迫力があったのは、ゆっくりと言葉を選びながら話しているからかもしれない。
軽いノリの返事を期待した僕は、ごくりとつばをのんだ。何の前触れもない、でもいつになく真剣な空気に押され、うなづかないわけにはいかない気がした。

「私がどうして前に付き合っていた人と別れたか、知ってる?それは、私がこれを取ったからなんだ。」
彼女は財布を開けると、中から赤茶色で二つ折りの、薄い定期入れのようなケースを取り出した。僕は何も知らずにそれを手に取ると、中を開いてみた。上半分には写真や生年月日が記載されている。写真はモノクロだったが、いつもと変わらない彼女の表情がかわいかった。手の中の物体はまるで学生証みたいだったので、僕はあまり中身を読まずに裏を返した。黄色のシールの上にある言葉を見付けるまで、僕はその物体の正体に全く気が付いていなかった。
「身体障害者手帳。」
僕の目線の動きにあわせて、彼女はゆっくりとその文字を読み上げた。

僕は愕然とした。別にそれで彼女に対する見方を変える気は全くなかったし、今まで隠されていたことは、ある意味では当然のことだと思うから、騙されたという気持ちも全くなかった。なのに、なぜか僕は愕然とした。早まる鼓動がうるさいぐらい頭の中に響いて、発する言葉を考える余裕がなくなった。

「うすうすあなたも気が付いていたかもしれない。私の目は普通じゃない。簡単に、網膜に穴があいているって言ったら分かるかな。当然その部分には何も映らないから、物を見ても欠けて見えるんだ。そのせいで視力が低下したり、暗闇では全くといっていいほど目がきかなくなったりもする。ね、私、よく夜に段差があったら躓いたりしてるでしょう?速度は人それぞれなんだけど進行性の病気でね、だんだん穴が大きくなったり増えたりして、最悪の場合は何も見えなくなる。」
ここまで一気に話すと、彼女は顔も上げずに長く息を吐いた。癖だった。僕は彼女が、まだ付き合っていないから遠慮がちに、夜の歩道橋で手を貸してほしいと言ったことを思い出した。どこか焦点の定まっていないような、透き通った薄茶色の目が、ミステリアスな魅力にさえ見えた第一印象も。

「気づいたのは5年くらい前かな。たまたま私を診察したお医者さんが気づいたの。生まれつきだったから自分の目が人とは違うなんて思ってもみなかった。お医者さんは何も分かっていない私に、『君の目はイカレている。この先どうなるか教えてあげる。失明するから、今から心しておくように。』 って。泣いたわね。親は私に、私以上に泣きながら謝った。恨んでなんかいないのにね。これが宿命なら誰のせいでもないからで。でも考えてもみれば、私は自分の身の回りのことくらいちゃんとできている。調べてみたら、私と同じ症状を抱えていても、悪化していない人もたくさんいた。今は治せない病気かもしれないけど、再生医療は確実に進んでいるんだ。だから私は、このことはあまり気にせずに前向きに生きたいと思ったわ。そんなとき私の前の彼氏が告白してくれた。前向きに、前向きに。そういう気持ちが押したのと、彼が医学部の学生だったという下心も正直あって、私はオッケーした。それなのに思ったよりも長く続いて、4年くらいかなあ、本当に幸せにしてた。」

「目のこと、彼は知ってたの?」
僕はやっとのことで口を開いた。バクバクと心音が、まだ耳障りだった。どういう表情をしたらいいのか、何を言えばいいのか本当に分からない。ただ、必死に弱みをさらけだそうとしている人に、慰めの言葉は失礼な気がする。会話を続かせることが、対等な関係を意味すると、僕は考えていた。

「うん。言った。病名も全部。彼は医学の知識があったから、自分でいろいろと調べて理解しようとしてくれた。初詣の時かな、『俺が治すのが夢じゃなくなるように見ていてください。』って何回も言ってたっけ。『何を祈ったの?やっぱり治ることか?』って聞かれたから、ずっといっしょにいられることだよって答えた。わりとロマンチストでしょう?別に一生頼っていこうとは思ってなかった。ただ、やっぱり突発的に不安に襲われたり不安定になることがあるから、そういうとき抱きしめてくれる存在ではあってほしかった。」

 彼女は紅茶を一口飲んで続ける。
「それから何年かした去年の秋、私は同じ症状の人たちを対象にした、お医者さん主催の研究報告会に参加したんだ。彼は自分の勉強のためにも一緒に行くと言ってくれた。ところがね、会場に入った瞬間、私はすごく気分が悪くなってしまったの。だってそこには盲導犬がたくさんいて、白杖の音が響き渡っていて、まるで将来の希望のなさを露呈されたみたいに思ったから。私でさえそんな風だったわ。彼にしてみたら、もっと衝撃が大きかったかもしれない。その会場で私は手帳を申請するメリットを聞いて、彼に黙って申請した。医療の情報をもらえたり、朗読のテープが借りられたり、金銭面でも助かるし、便利なこと多いから。でもね・・・つらかった。みんなと同じになれるなら、そんな得なんていらない。だってこんな紙一枚で『あなたは弱者です』っていうラベルを貼られるのよ。これをもらったことで、生まれつき目の見えにくい人、が、身体障害者になるのよ。この差って大きいと思う。でも、自分のためだから申請した。彼は研究報告会のあとも、今までと変わらず私に接してくれた。さりげなく私が『手帳をとろうと思うんだけど、あなたはどう思う?』ってきいたら、彼は急に黙って、そのあとハッキリこう言った。『普通の人であれるうちは、やっぱりそうしてほしい。書類上のことかもしれないけど、もしそうなったら、この人は障害者だからこんなことを言ったらかわいそうだ、とか思ったりして、自由な付き合いができなくなりそうな気がする。それに、セコイ話かもしれないけど、普通に仕事だってできているのに、金銭面での援助を受けれるっていうのもどうかと思う。見る目が変わらないとは言い切れない。』って。結局それから2週間もしないうちに、彼は他に好きな人ができたって去っていった。その人は普通の人なんだろうな。私の引け目はそこだけだった。このときばかりは親でさえも恨んだし、死にたかったわね。本当は、もし命より先に目が失われたら死ぬって決めてるの。でも、彼と付き合っているときは、それは考えなかった。この人さえいてくれたら私は何でもできる。一緒に生活するために地元をはなれても、実力で転職する自信もあったし、何をするにも、できないことをそのせいにだけはしないように努力もできた。いまは・・・全くダメ。心のどこかであきらめてるし、すべてを頼れる人を探している。こんな条件であなたに付き合ってて言えるほど、自分に自信がない。あの悲しみを繰り返すくらいなら、いい友達でいて、それ以上望まないほうが幸せだと思う。」

僕は黙っていた。ただ、じっと座って黙っていた。脳裏を数時間前の彼女が駆け抜けた。目の前にいる彼女の実態と、見た目は何も変わらなかった。
「なんてね、まあ、そういうわけなのさ。『恥かしがりの僕のために、どうしても告白してください!』って頭下げるなら考えてもいいわよ。」
明るさも、口調も、にっと笑うかわいい顔も、表面的には同じに見えた。しかしやっぱり僕は違和感を覚えずにはいられなかった。それらがみんなつくりもののようで、彼女が急に痛々しくて弱い生き物に見えた。それは、きっと彼女が一番望んでいない反応なんだ。けれど僕は、言葉ではなくこの手で彼女の頭に触れた。僕たちの間に、ありえないくらい静寂が訪れた。時々立ち上がるライトブルーの香だけが、空気は止まっていないということを教えてくれた。

 僕は、「前の男は最低だ」といってやりたかった。でも僕自身も彼女に対する見方が変わっているのは否定できない。そして何より、彼女の冗談に素直にうなづけていないのだから、そいつと同じなのかもしれない。沈黙は彼女の絶望をあおるだろう。いけないと思いながら、僕は答えを見出せないまま彼女を送っていってしまった。

 きっと明日になったら、彼女はいつもと変わらない様子で接してくるだろう。そうしたら僕はどうしたらいいのだろう。長い告白を黙殺することはできない。「じゃあ友達のままでいよう。」とも言えない。でも「そんなことは関係ないよ。」と明るく言うことはもっとできない。がらんとした夜の海に放り出されたようで、子供のとき以来初めて、声を出して泣いてしまった。





 それから何ヶ月かが過ぎた。僕たちは今も、以前と変わらず「いい友達」ですごしている。でもやっぱり以前とは違って、僕は彼女にあまり障害を意識させないようにという気を遣っている。ちょっと楽しみながら。もうすぐ僕は、
「ねえ、僕のこと好きなら、告白してよ。そうしてくれたら・・・カナリうれしいかも。だって脈ありな気がするもん。」
と言ってみるつもりだ。いい友達関係にはそろそろうんざりしてきた。僕は彼女が好きだ。自分から告白するのが恥かしくて、僕が何気なく口にした言葉が、彼女の「いいよ。」という短い告白を引き出せると確かに思っている。彼女はきっと、ゲラゲラ笑い出すだろう。そしてきっと僕の背中をたたきだすに違いない。

 


散文(批評随筆小説等) 長い告白 Copyright Rin K 2006-05-06 20:08:25
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