しかし詩人はまわりこんできた
黒川排除 (oldsoup)

kim「詩人を攻撃してるわけじゃありません。」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=71718



 今、日記を書いている。日記を書いている最中に現代詩フォーラムに足を運んだりゴロゴロしたり椅子の高さを変えてみたりして再度日付け順文書リストを見ると詩人、という単語を題に冠した文章があったのでそれを見て日記を書くのをやめて文章を書くことにした。なんだか冒頭を書いている間に該当文書の題名が変わってたりしてるので、このまま消えちゃっておれのタイピングモーションが水の泡にななったらどうしようみたいな予感がしているので急いで書いている。えー教科書のもんだいということですがー

 自慢じゃないが、と書いておいて書く話は大抵自慢なので、自慢なのだが、おれは現代文の成績が他のどの教科よりも一番良かった。現代文の成績が良すぎて気を良くして高校の担任と「将来何になりたいの」「小説家」という会話を交わした数日後に親からそれとなく、まさか小説家とかになりたいわけじゃないよね? 教会行く? みたいなことを言われた気がしないでもないぐらい、現代文の成績がよかったのだが別に教科書作ってるひとのところにワイロを送っていたというわけでもなければ教科書の内容が好きだったというわけでもないんだがまあズルかった。大概この辺のことだろうと目星をつけて文章を切ってわけて貼り直して直感で考えててたらぜんぶ当たってたぐらいの勢いでおれの自慢話は終わる。しかし内容のことを除けば教科書というものは個体として物体としては好きだったんだよねーということで

 そのへんをぐるぐるとりまく詩人のいちづけみたいなところで、かの該当の文書はキレたり突っ込んだりしておるわけである。ああいう文章を書くと、大抵叩かれるか無視されるかの両極端であることから、そうなるまえにおれが叩くというわけではなく撫でるというぐらいでエヘヘヘヘ、不審者情報マップがインターネットで公開されたようで困っております。ともあれ教科書の中の詩人の位置がアレコレで、詩人は文章とかエッセーとか書くなよなあもうという大概思春期の反骨精神というのかそれともまた、盗んだバイクで走り出すのかそういう感じなのかはともかく詩の表現でもって文章を書くことが不満であるようなのでここに書いておくが、彼はおそらく文末に「××。詩人。1900-1935、石川県生まれパリ育ち」とか書いてなかったらこういう文章を書いてないわけであって、彼のたまたま見たつまらない文章がたまたま詩人のものであったからと言って後付け的にあのへんは詩人の表現ばっかりでどうこう、というのはさすがにちょっと筋違いなんではなかろうかなと思う、例えば

 「これおいしーい」「カエルの肉だよ」「うげえっ」みたいなよくある海外でのおもしろエピソードだが、それは食っている彼がカエルの肉と知らなければおいしいままだった。知らなくていい情報というわけでもないが、該当の文章の場合は単純に読んだ内容と属性が連鎖したカタルシスではあっても、そしてそれが誰にでも起こりうることだとしても、こうやっておおやけの場で話す意味がある話ではない、おれの理想をいえば黙ってイライラしておけばいいだけの話なんである。なぜかと言えばバッグがいくらかわいくてもエルメスじゃないと知ったらイラナイワだとか、ハンサムな選手でもJ2なのねとか、そういうものは端から見ていると単純に嫌なやつだからである……ッ! この場合「長田弘は詩人」という属性がその文章の価値を上げたり下げたりするわけではない。彼が詩人であってもなくても、その文章が最初からつまらなければ詩人であったとしてもつまらないし、その文章がおもしろければ詩人であったとしてもおもしろいのである。もっといえば詩人であるからどうこうなんていうのは、単純に詩人が嫌いだと表明しているに過ぎないわけだ。それがどういう結果をもたらすかは、その時その場所その条件によるけど、下手な鉄砲も数打ちゃ当たるわけで、列挙している分だけ条件は多くの人に当てはまる。最後に列挙している名前を愛するすべてのひとを敵に回すだなんておれでもちょっと難しいなあ。おれは芥川龍之介が好きだよ。とまあおれの好みを表明しておいてこの文章は終わるとしましょうネ

 

 余談として書いておけば、おれは教科書に詩人の作品がある場合はむしろ歓迎していたものだよ。大部分評論とか小説ばっかりの教科書に短歌や俳句や詩の存在はオアシスであったし、実際あんまり詩人の名前を知らないおれの所有する数少ない詩集のうちのふたつは教科書に名前があったものだ。だからどうというわけでもないが、鉄くずだからといって捨てたらもったいないじゃないか。モッタイナイ! どっかの国のひとも言ってたじゃないか。鉄くずを溶かして新しい鉄をつくるぐらいのことはあってもいいってことだったんだよ。

 あああとこれも文章の中に入れ忘れてたけど、ひとをバカっていうときは充分説明してからバカって言うんだ。微妙に違うケースだがひとの文章をアレコレ言ってるのにじぶんの文はもっと練習した方がいいなあ、なんていうのは卑怯と見られても仕方ないんだと思うねというか卑怯というより矛盾だ。そうだな。


散文(批評随筆小説等) しかし詩人はまわりこんできた Copyright 黒川排除 (oldsoup) 2006-04-20 02:10:51
notebook Home 戻る