感動的な日々
アシタバ
感動的だ
ナイロビのスラムの何百万人のなかから
一人の少年を選んで
持って回った親和力(テレビカメラ)で気安くなり
何日間もその不幸を見続けたあげく
「君は今幸せかい?」
少年は半ば呆れたように微笑んで言う
「今は(ということは常に失う可能性がある)仕事があるから幸せだ(と思わなければ仕事もなく餓えているほかの者たちが一体何なのか考えることすら出来ない)」
おお、おお、、、何たる幸せ
感動的だ
やはり何百万ものホームレスのなかから
一人の老人を選んで
また!持って回った不幸を脱色する魔法の杖(テレビカメラ)で脱色し
普遍的労働人間への階段を
呻吟しながら上っていくさまを
他の普遍的でない不労働人間どもに対する否定の肯定として
否定することに長けた人々のもとに送りつけ
まだ仕事の見つからぬその老人は置きざりにして(テレビ局の掃除夫や警備係で雇うことは考えないのか?)
「頑張って欲しいですね(何を?ハローワークに毎日足を運び面接官に冷ややかな目で見つめられ、毎度不採用の通知を受け取ることか?)」
おお、おお、、、何たる善意
タワラさんの分別ある言論がぼく等の言論を分別くさくする
チクシさんの懐疑的な言論がぼく等の言論を懐疑的にする
トリゴエさんの断定的な言論がぼく等の言論を断定的にする
この偽善的絶句、饒舌な沈黙から、いかにして言葉を取り返すべきか