託されている
たもつ



今月末、女房の実家に墓参りに行く。
仕事の都合などで、もう三年ほど実家には帰っていない。
鹿児島なので、千葉からそう簡単に行けるところではない。

墓地は高台にある。
眼下にはきらきらと光る錦江湾が広がり、
桜島が大きく、裾野を広げている。
お墓の掃除をし、供え物をして拝み、
その後、義母お手製の弁当を食べるのが仕来りだ。
結婚の承諾を得るために初めて訪れたときも、お墓に連れて行かれた。
自分は神も霊魂も信じる人間ではないが、
しのぶさん(女房)を大切にします、と誓った。
その時も墓地で桜島を見ながら弁当を食べた。

身体に気をつける義母は塩分を取りすぎてはいけない、と
塩をつけずにおにぎりを握る。
その度に、お母さんのおにぎりは美味しくない、と文句を言う。
それも仕来りのようなものだ。
確かに初めて食べたおにぎりは塩味はなかったが、
その大らかな風習や気質がすっかり好きになってしまった。

その年、今度は結婚の報告をしに、僕の父の実家に行った。
父の実家は福島の会津にある。
会津は戊辰戦争で薩摩と争い敗れている。白虎隊の悲劇はこの時に起こった。
会津で「戦争」と言えば第二次大戦ではなく戊辰戦争のこと、
といわれるほどに因縁が深い。
墓前で、先祖に薩摩の女性と結婚する許しを乞うた。
そして同じように誓った。
しのぶさんを大切にします、と。

五年程前、女房の母方の祖母が亡くなった。
死ぬ数日前、祖母は意識が朦朧とする中、僕の名前を呼んだそうだ。

僕らは託されているのだと思う。
先述したとおり、僕は神も霊魂も信じない。
けれど、墓参りを大切にしていくつもりだ。
死んでしまった人間は一番弱い。
その一番弱いものを慈しみ、思いを馳せることは
自分自身を見つめることと一緒だ。
そして、託されている、ということを僕らは再確認する。


(2004年8月1日の心太日記を一部改稿)


散文(批評随筆小説等) 託されている Copyright たもつ 2006-04-09 20:11:52
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