いつもポケットに詩人
佐々宝砂

私の仕事はガテン系なので、仕事中は、いわゆるカーゴパンツ、動きやすく、大きなポケットがいっぱいあるズボン、それも男物を穿いている。男物の服のポケットは、女物のそれに比べると段違いに大きく使いやすい。財布が入るのは当たり前で、手帳が入る、携帯が入る、軍手が入る、カッターナイフもガムテープも入る、なんて便利なんだろう、と思ってからかなり経ってふと気づいた。このサイズなら文庫本も入る。京極夏彦の本みたいにあまりにも厚いのは入らないが、普通の厚さなら入る。

そう気づいてからというもの、私のカーゴパンツのポケットには、いつも本が入っている。昨日はラフカディオ・ハーンの『骨董』を入れていた。今日はエドワード・リアの『ナンセンスの絵本』。長い小説だと短い休憩時間に読む気にならないから、短編集や詩集をポケットに入れる。それもはじめて読む本ではなく、何度か読んだ大好きな本を入れる。めちゃくちゃ疲れる仕事で本なんか読めないようなときもあるけど、それでも私は本を持ってる。

今日、こういう本って、私にとってお守りなんだな、と、ポケットにリアのナンセンスな本の重みを感じながら思った。そしてリルケの『マルテの手記』を思い出した。あれを読んだのはもうずいぶん前のことだから正確な引用はできないけれど、マルテがミルクホールだか図書館だかで「僕は一人の詩人を持っている」とかなんとか考えるシーンがある(曖昧ですまない)。

私は時に、広い倉庫や工場で何百人かと働く。その何百人かのうちで、ポケットにラフカディオ・ハーンやエドワード・リアを入れてるのは、きっと私一人だと思う。そんなこと、ほんとにたいしたことじゃない。特別っていうほどのことでもない。でも、ポケットの中の詩人は、単調な流れ作業のなかにいても、重い荷物を運ぶ肉体労働のさなかにも、私を私でいさせてくれる。現場においては一個の歯車に過ぎない私を、人間的な私、私らしい私でいさせてくれる。

いつもポケットにいてくれる詩人たちに、私はお礼を言わねばならないようである。


散文(批評随筆小説等) いつもポケットに詩人 Copyright 佐々宝砂 2006-03-31 20:31:53
notebook Home 戻る