「詩遊人たち」とは、詩人交流サイト「詩遊会」の有志によって出版された、若々しく、みづみづしい詩集である。
これは未熟といふ意味ではない。
たとふれば、こんこんと湧き出づる泉のやうな・・・。
さう、この詩集は詩の泉だ!
詩遊人たちの詩の流れは、決して淀んではゐない。
七人の詩人たちが参加してゐるが、何らかのテーマを持って競作してゐるわけではない。
私は安堵した。いはゆる「お題」に基づいた詩集なのではないかと危惧してゐたのだ。
「お題」といふのは、確かに楽しいし、刺激的ではある。
しかし、どうしても作品が俗になってしまふ。
俳句が、なかなか芸術として認知されてこなかったのは、実に「お題」のせゐであると思ふ。
俳句結社や同人が「お題」に拘泥する限り、俳句は単なる遊興文芸に堕すこととならう。
閑話休題。
それでは、詩遊人たちの詩を見て行くことにしよう。
◎望月ゆき
『てのひら、そのとなり
たとへば
わたしが沈むとき
くるくるとつむじをなでる
てのひら
がほしいのです
たとへば
わたしがつまづくとき
ついとおでこを押へる
てのひら
がほしいのです
たとへば
わたしが凍るとき
じわりじわりと頬をとかす
てのひら
がほしいのです
(後略)』
『魚になるにはどうしたらいいか書いてないから教科書閉ぢる』
望月さんの詩には、郷愁と上質なユーモアがあふれてゐる。
彼女は童心を持ち合はせてゐる詩人。
その童心は、あどけなさよりも、憧憬と哀しみを帯びてゐる。
◎落合朱美
何と言っても、私は「羊飼ひの歌」が好きだ。
『羊飼ひの歌
帰り道に迷って
泣いてる子羊
あの空の羊雲は
違ふよ
君の帰るところぢゃない
涙を拭いてよく見てごらん
発見はいつも
ほんの足元からはじまるんだ
背伸びをしてると
ほんとのことを見逃してしまふよ』
落合さんの詩は、どれもとてもかはいらしい。
彼女の言葉は、読む人の心を優しく癒す。
◎ルナク
鋭い言語感覚。
異質な詩語が、揺るぎなく見事に融合してゐる。
新鮮な詩語を創出する術を知ってゐる詩人。
『葡萄鼠の月
霧が低く立ち込めてゐる
地平に連なる街並の輪郭線を
淡い紫が滲ませるやうに覆ってゐる
その帯状の霧のすぐ上に
なだめるやうに添ふやうに
葡萄鼠の月が出てゐる
こころも身体も疲れきってゐるのに
妙に頭だけがさえて眠れない
葡萄鼠の月
街を抱く大きな十六夜の月を見つめてゐたら
遠く暮らす 老いた母を
なぜか ふいに思ひ出した』
◎さち
さちさんの詩は素直で愛らしい。
レトリックを駆使しなくとも、胸に沁みる詩を書けるのだ。
彼女は、誰もが感じることを、誰もが理解できるやうに表現してゐる。
これは意外に難しいことだ。
『ためいき
誰も知らないところで
こっそりと
こっそりと息を吐く
疲れた胸のうちを
二酸化炭素と一緒に吐き出す
気が付かれなくていいんだ
自分だって忘れてしまひたいんだから
いつか
光合成で
澄んだ空気に変はるといい』
◎土屋怜
土屋さんの言葉は力強く、読む人を粛然とさせる迫力がある。
『私のカラザ
やっとここまであるきました
あなたたちにささへられて
ひとりでがんばってたつもりでも
いつもだれかがそばにゐた
きづくと きづかないとはなしに
まんまるになるまでのアタシを
ちぃさく おほきく
まもってくれた
アタシのだいじなカラザたち
たいせつにするよ
これからもよろしく
ね』
この、ひらがなとカタカナだけで書かれた詩の、何といふ重み!
空疎な言葉は一語として使はれてゐない。
◎水口京子
ユニークにして挑発的。
魔のイメージ。聖と濁の混淆。
ひときは異彩を放つ詩人。
活字がドロリと溶け出すやうだ。
『人魚奇譚
(前略)
ああ、もう
ヒトは包丁を研いでゐるよ
切り刻んで肉を売れば
末代まで安穏と暮らせる財とならう
魚
オマヘの児は
白い肌に緑青の鱗
瞳は紫紺に光り
髪は漆黒
麗しや
麗しや
育てば如何ほどの絢爛だらうか?
ああ、物陰で
狂女がホルムアルデヒドの瓶を抱へて笑ってゐる
魚
オマヘの児は
あまりに求められすぎてゐる
魚
オマヘの児は
金塊に化けて
ヒトの業を深めるぞ』
◎アマル・シャタカ
「詩遊人たち」の中で、唯一の浪漫派恋愛詩人。
そのリズミカルな言葉は、恋の真情と哀切に満ちてゐる。
『君は誰かの愛しい人
孤独に耐へかねて涙を流すのだとしても
嫉妬にかられて涙を流すのだとしても
きっと君は誰かの愛しい人
愛し愛される関係なら言ふまでもない
たとへ 愛されぬと今 嘆いてゐても
君は誰かの愛しい人
過去に愛してくれた人
今愛してくれる人
そんな人が今もゐなくとも
遠い未来に愛してくれる人
さう 君は誰かの愛しい人
時間を越えて 国を超えて
どこかで君を愛してくれる
だから 君は誰かの愛しい人
そして
おそらくこの僕も
きっと誰かの愛しい人』
音読して味はひたい作品である。
§
印象的で、ヴァラエティに富んだ詩集だ。七人それぞれが、個性的な詩の世界を形成してゐる。
彼らを「詩に遊ぶ人たち」と、軽々しく見なしてはならぬ。皆、とても真摯に詩作に取り組んでゐる。この詩作に対する態度を、我々詩人は見習はねばならない。
私は一読して、大いに得るところがあった。
詩集「詩遊人たち」は、詩遊会の、ひいては現代詩フォーラムの、重要な、妙なる成果の一つであると信じる。
詩遊会
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