夢の国のアリス/独白
渡邉建志
「わたしが死んだ後、わたしの『憧れ』はどうなってしまうのかしら。『憧れ』はわたしから遠くに飛んでいくものだから、いまもわたしの中にあるのかしら。それとももう飛んでしまってどこかにいるのかしら。どこかにいるのならば、わたしが死んでしまって、空気中のどこかをさまよって、いつか誰かのこころの中にたたずんでくれるから安心よ。いえ、わたしの『憧れ』はひととこでじっとしていたりしないわ、きっとすぐちょうちょのように飛んでいってしまうの、そしていつかあの人のところにたどり着くかもしれないわ、それなら安心なのだけど。でもわたしが死んだ後も、わたしの『憧れ』は飛び続けていくのかしら。いまはわたしから遠く離れて飛んでいるけど、わたしが生きているから飛んでいるのかしら、それともわたしがいなくても飛んでいるのかしらね。焦がれているのはわたしだもの。『憧れ』は彼方(『あ』なた)への焦がれ(『こがれ』)なのかもしれないし、『あ』ちらへの焦がれなのかもしれない、あら、前者だと焦がれているわたしが消えると『憧れ』も半分力を失ってしまうわね(あなたが生きていればいつかたどりつくかもしれないですけど)。でも後者だったら、ひょっとしてわたしが飛んでいくのかしら、あの世に飛んでいってしまうのかしら。その力が『憧れ』なのかしら。たしかにあの人をおもう気持ちはあの世を掠め見るような感触に似ているわ、この世の人に思えないもの。たぶん夢なんだわ、わたしが夢の中にいるのかしら。あの人が夢の中にいるのかしら。なんだか中国の話にそんなものがあったわね、胡蝶の夢だったかしら、『荘子が蝶となり百年を花上に遊んだと夢に見て目覚めたが、自分が夢で蝶となったのか、蝶が夢見て今自分になっているのかと疑った、というお話』、なんだかフォーレの歌詞のよう。それともフォーレのお菓子?いえそれはアルフォートだわ、関係ない、関係ないわね、でも、ああ、わたしが憧れる蝶になってしまって、夢のようなあの人のまわりをくるくるととびまわることができたらいいのに!あの人がそのことにまったく気づかないまま、右の手の甲にとまって羽を閉じることができたなら、わたしはそのときこのまぶたを永遠に閉じてしまってもいいわ!」