欲の物語
アンテ


                                 (喪失の物語)


彼女の胸には心臓がなく
代わりに小さな箱が埋まっていて
願いを唱えながら手を入れると
どんなものでも取り出すことができた
彼女は箱の存在をだれにも知られないよう
常に服でしっかりと身を包み
必要な時だけ
だれもいない場所で蓋を開け
こっそりと欲しいものを取り出すようにした
ところがその日はとても暑く
我慢ができなかったので
森の奥にあるだれも知らない小さな泉で
裸になって水浴びをした
つい夢中になって長居をしていると
突然少年が現れて
いっしょに泳いでもよいかと訊ねた
彼女は胸の箱を隠しながらうなずき
慌てて泉を出て服を着た
少年は彼女には興味を示さずに
するすると服を脱いで泉で泳ぎはじめた
驚いたことに
少年の胸にも小さな箱が埋まっていた
彼女は泉の縁にすわって
しばらくは少年を眺めていたが
我慢しきれずに箱のことを訊ねた
少年は特に隠そうともせずに
欲しいものを願いながら箱の蓋を開けると
どんな物でもこの中に入ってしまうのだと答えた
彼女は少年の箱が欲しくなって
木々に隠れて服を脱ぎ
自分の胸の箱を開けて中に手を入れた
すると少年の胸の箱が開いて
中から手が現れ
なにかを探すように辺りの様子をさぐってから
一直線に伸びて彼女の胸の箱を掴んだ
彼女は抵抗したが
手の力は強靱で
少年のところまで引き寄せられて
少年の箱のなかに身体ごと呑み込まれてしまった
彼女は長いあいだ意識を失っていたが
気がつくともとの泉の縁に倒れていて
胸を確かめると箱は消えてなくなっていた
少年の姿はどこにもなく
足もとに箱がひとつ転がっていた
蓋を開けると中は空っぽで
欲しいもの唱えてもなにも起こらなかった
彼女は箱を泉に投げ捨ててしまおうとしたが
これは少年の物だと思いとどまった
その時彼女の胸のなかで
心臓が鼓動を刻みはじめた
胸に手を当てるととてもあたたかく
そして力強かった
彼女は泉で全身をきれいにして
服を身につけてから
森をあとにした
手にしっかりと箱を握りしめて
そして一度もふり返らなかった






自由詩 欲の物語 Copyright アンテ 2006-03-16 00:00:22
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