「2.ルイーズの空」
umineko

  「ルイーズの空」

    ルイーズはいつも空っぽだ
    ルイーズはいつもとんがっている、山高帽の
    だらしない紳士の椎骨あたり
    途方もない誘惑の笑み
    ガムを噛んでいる

    ルイーズは雪の降るのを信じない
    雪だってみぞれになる、空の空の
    とても高い石英のすきまから
    口惜しくて雨はそのまま
    ルイーズの頬で結晶になる

    空はうたうのでルイーズ
    星は揺れるのでルイーズ
    同じ場所からやり直す
    眠れ眠れ

    ルイーズはいつも空のかわりに
    ポケットには冷たい夜
  
とゆう作品があったとします。

いや、これってただ思い付いたまま並べただけですけどねああ気持ちいい(笑)。これは、作者の意図を何も伝えない。ない袖は振れませんもの。でもね何かは伝わるでしょ?今日はこの現象について考えてみました。

前回のテキストで、「伝えたいというヨクボウ」について触れました。自分は、そして多くの人たちは、何かを伝えたい、すなわち自己の中のなんらかの事象を他者へ送りだそうとしているはずです。たとえ「いえ、思ったことを書いてるだけで、読んでもらえなくてもいいんです。」とかゆう人がいたとしても、それは悪いけど、まやかし(笑)。謙譲は美徳ですし保身ですのでかまわないけど(自分もよくやるし(笑))、ひとまず読んで欲しいんだよね。

自分は感情とゆう得体しれないものに興味があるのでそれに関与するような文字列ばっかし希求していますが、文字の記号性にひかれそれを追求してゆく方たちがいればまあそれはそれでがんばってね、あたしは日本史、君は世界史選択してねって感じ。ごめんね。

では冒頭の作品はどうかと問われると、確かにね、意図的なモチーフはない。でも「ことば」たちはすべて「自分」とゆう箱の中でフィルタライズされているものだから、無意識に自分を晒している可能性がある。そして読む人が読めば、一種の心理テストのように、作者の状況が手にとるようにわかるかもしれないね。

ただこれは正直言って自分の手には負えないな。実際現実にも、コミュニケートする上で声のトーン文字のつながりで無意識に伝わってしまうことってあるだろうし、そゆ術に長けている人そうでない人いろいろだろう。

まだね、自分の内部の無意識を公開するには至らない。逆にゆうなら、そこまで読者に依存していないってゆうかね。自己チューだからさ(笑)。誰かが冒頭の作品を解析して、たとえば夜と作者のかかわりを見事にあばいたとしても、なにしろ作者に自覚がないもんだから(笑)、ありがとうでもわかんないんですー、とゆう返答で終わっちゃうしかないじゃないですか。

それならば。

ま、ひとまずそゆ深層の声に耳を澄まして、なにか少しでも、こう、カケラのようなものを手にすることが出来た時初めて、文字列にしてるって気がする。自分としては。

でね。

実はネット上には、そゆふうにもがいてることばたちが、そこここにあふれてる。自分はそゆ人たちに出来うる限りのエールを送りたいし、作品へのコメントという形で具現化しているつもり。

その姿勢はたとえひとりきりになっても変わらない。

結局ね、ことばをあやつろうとする人たちの、ことばつかいたらんと揺れまどうその姿にひかれて、ここにいるのかもしれない。それは「詩人」としてはピュアじゃないんだろうけど、自分はその姿勢で今まで来たわけだし、今後もそれでいく。

自分のためにここにいる。
 
 
 


散文(批評随筆小説等) 「2.ルイーズの空」 Copyright umineko 2006-03-07 23:48:08
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