年男
腰抜け若鶏

僕の後輩に年男という子がいて、みんなから「とっしー」という愛称で親しまれてる。けれどその子は今からする話とはあまり関係ない。

今回は「年上の男」について考える。ちなみにこれは僕の持論だが、自分が話をしていて自分が気持ちいいと感じる時、大抵聞いてる方は何かを我慢している。この考えがこれからする話のもとになってくる。

恋をして、自分が夢中になっている場合に限って、向こうが嫌に冷めている事が多い。友人関係もそうだ。やたらめったら自分に好意を示してくる友人に対しては何となく適当な接し方をしてしまう。

自分の経験をもとにして話すが、人は相手の好意を勝ち得たと確信すると、相手を自分より格下だと感じるようになるらしい。自分や相手に順位をつけるのは猿の社会にも見られる現象なので人の本能に刻まれていても何ら不思議ではない。

相手に理想を抱き夢中になると、それはロマンチックで幸せな気分になれる。想われてる相手にしてみれば、自分にはないものを期待されて、いまいちピンとこない子と一緒にいなければいけないのだ。しかし向こうの心が自分から離れていくのは寂しくて恐くて堪らない。気が付くと相手に縛られている。

年上の男は相手に夢中になってはいけない。向こうが抱いてくる理想を叶え、ある程度妥協して相手と付き合わなければいけない。それはとても疲れる。けれど自分は相手より年上で、しかも男だからと割り切るしかないのだろう。

また一つこの世界のことを知り、そしてまた一つ人生の楽しみが消えた。


未詩・独白 年男 Copyright 腰抜け若鶏 2006-03-02 15:25:04
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