死神と私 −旅に出るから−
蒸発王


“その名前で呼ばないで下さい”
“約束ですよ”


昔の夢から目をさますと
見なれた白い天井が水晶体に写りました
ベットから見える空の色は群青色に染まっています
いつのまにか眠って
もう夜のようです

本当に昔の夢でした

私はまだほんの子供で
死神の名付け親と初めて会ったときの夢です
死神と会ってやっと私は両親が死んだことを受け入れたのでしょう
その夜は一晩中涙が枯れるまで泣きました
色白と言われる頬を真っ赤に染めて泣く私を
死神は一晩中添い寝をしてあやしてくれました
そして
幼い私がうっかり
死神に『     』と言うと
死神は凄くうれしそうに
でも
凄く痛そうな顔で
“その名前で呼ばないで下さい”
と私の唇をしっと押さえるのです
そう言った時の死神の瞳が本当に困っていたので
私は其れ以来
死神をその名前で呼びませんでした




どうして
こんな何十年も前のことを思い出すのでしょう
ここの所どんどん物忘れも激しくなって
眠る前に見た空の色さえ思い出せず
胸をわずらって入院しているというのに

再び窓の外を見ると
窓の外にはオリオンが凍てついていました
最近はこの寝たきりの病床に親しみを感じ
よく星を見ては
夢の中で星座を旅するようになりました
今日の旅行先はオリオンに決定です
月の砂浜
闇を抜けて小惑星の流氷を越えて
土星の輪の一端を自転車の車輪にして
天王星の遥か
一路オリオンの三ツ星を目指します
自転車のサドルにかけたラジオからは
死神がリクエストしてくれた私の好きな歌がずっと流れているのです


あてもない空想をしていたら
点滴の雫のリズムに合わせて
またも
うっつらと眠くなってきました


マブタの裏の空想で
小さな冥王星の上に乗った死神が
ゆっくりと腕を振っています


今だけは
この旅に出る時だけは

この名前で呼んでもいいでしょう?
“その名前で呼ばないで下さい”
なんて困った顔をしないで

この旅の帰りは
きっととても遅くなってしまうでしょうから
ね、



『いってきます』



『お父さん』








自由詩 死神と私 −旅に出るから− Copyright 蒸発王 2006-02-25 22:08:41
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死神と私(完結)