「静かの海」綺譚(11〜20)
角田寿星

 11

「地球は二酸化硅素の体を持った生物である
 ことが最近になって判明した」と
夢の中で見たプラカードに書いてあった

地球が寝返りをうった 地球がくしゃみをした
その際に起こりうる惨劇を考えると
ぼくは不思議に悲しくなった
杞の人の悲しみ


 12

マラケシュにいた時も
海底牧場で働いた時もこの季節になると
春の風を感じ 桜の花を思った
そして今 「静かの海」にひとり佇む時も
また

鉛筆の削りかすの
木の匂いをそっとかぐ

気候調節のスイッチを「山の三月」に合わせ
人恋しくなり 友に会いに行く
「灰色の菫」という名の小さなバーに
思わず急ぎ足で


 13

「灰色の菫」には移住して以来の友が
コク・テール作りをしていて扉を開けたぼくを
笑顔で迎え入れた 椅子のないカウンター
にはもう一人の友が立っていて 彼は
ぼくが来るのを予知していたのだと言い張った

椅子のないカウンターの片隅には
一脚のテーブルと椅子があったが
その椅子にぼくらが座ることは一度もなかった
いつもカウンターに肘をついて
コク・テールと話を楽しんだ

移住する前
のことは互いに何も知らない
地球に置いてきたもの
のことは ぼくらはもう話さない
ぼくらが話すのは「静かの海」の思い出話
昨日の探検談 すれちがった人の表情
音楽 イチョウや畳の話 そして共通の話題の
あなたの消息

今夜は一杯のコク・テールを肴に
心ゆくまで話を堪能した 二重螺旋の椅子に腰かけて
幻影のあなたが微笑んだ


 14

増殖し続ける灰色の図形 タンギーの終末
心の砂漠に別れを告げ
十一月の階段をひとり登る

樋を伝わる水滴 石を穿つ波紋
蒲の穂が揺れる草原で穏やかな光を受けて
黄昏のメリーゴーランドがくるくるまわる
「始まりは終わり 終わりは始まり」
誰かの囁く声でぼくは緩やかに双眸を開き
白く柔らかい羽根のあなたを見上げた


 15

何かもの悲しい調べがぼくを貫いた


 16

目が覚めるといつもの殺伐とした部屋
脱ぎ散らかしたズボン
転がっているコップ 相変らずの地球の映像
頭の芯が痛む 煙草に火をつける
喉が灼けていてうまくない それでも
甘い余韻がどこかに残っている
余韻だけの淋しさ


 17

以前古物商と話した時
出されたお茶をすすりながら
大事そうに半畳の畳をトランクから取り出した
彼の言うには 一畳まるまるの畳は手に入らないんだと
不完全なカビだらけの畳を切り取って
半畳に継ぎ合わせて売るのだと
ぼくに言ってたっけ 畳の芳香が
今でもどこかに残る


 18

「こんばんは」

数日前に会ったばかりの友がやって来た
一言「こんばんは」を忘れたのだと言う
そういえば ぼくも忘れていたことに
今 気付いた

「やあ、こんばんは」


 19

桔梗色の空の下 だんだんと
世界が広がっていくのを感じる
薔薇もサンザシも見つからない
こんな世界でも


 20

心のなかの
小さな風車がひとり回っていた

せいいっぱいに風をうけて


自由詩 「静かの海」綺譚(11〜20) Copyright 角田寿星 2006-02-25 18:04:33
notebook Home 戻る
この文書は以下の文書グループに登録されています。
「静かの海」綺譚