死神と私 −蛍の光−
蒸発王


“かえりみちでほたるをとってきてください”
平仮名ばかりのメールが届いたのは
電車が駅にすべりこんだ瞬間でした


アドレスは息子のものでしたが
明らかに使いなれていない平仮名と文調子は
名付け親の死神のものでした

“帰り道で蛍を捕ってきて下さい”

夏夜とはいえこんな街の中で蛍がいるはずもありません
また息子のわがままかと思いました


小学生の息子は昆虫採集に夢中なのです

夏休みが始まってからというもの
毎日虫取り編みをかついで死神と公園へ出かけています
先日は大きな黒アゲハを捕まえてきました
一見地味に見える黒い羽に太陽の光があたると
虹のような光沢が黒い地模様に浮んでくるのです
青く黒く羽をはためかせる黒アゲハを息子は夜遅くまで眺めていました


その息子が今度は図鑑でしか知らない蛍が欲しいとだだをこねたのでしょう
知らぬ顔をして夜蝉がいななく帰路を急いでいると
すぐ横の木から蝉が落ちました
じりじりと弱い音をたてながら
寿命がきた蝉はわずかに前足を動かすのみです
その時に私の視界の片隅で弱く光るものがちらつきました
黄色い光は死にかけた蝉の傍に止まると
さらに明るく飛びまわりました

ゆったりと舞う蛍です

私は反射的に両手で蛍を包み込むと
一目散に家を目指して走りだしました
驚きで少し興奮していたのかもしれません


ドアの前まで来ると待ちに待った表情で死神がドアを開けました

奥の和室で息子が泣きはらした目をして虫かごを覗いています
虫かごの中ではあの黒アゲハが横たわっていました
黒アゲハの身体は記憶よりもずっと小さくなって
虹色の光沢は見る影もありません
つぶらな二つの複眼と触覚が凍りついた様に静かで
息子のすすり泣きも静寂に溶けるようでした


急に手の中が熱くなって両手の包みを解くと
先刻捕まえた蛍が飛び出しました
死神は蛍に向かって礼儀正しくお辞儀とすると
蛍も会釈をかえすように上下に飛びました

かごの目を通って蛍がアゲハの遺体に止まると
アゲハの身体から虹色の煙が少しだけ出ました
蛍がその煙を吸い込むと
お尻の光がさらに輝き出します



蛍は死神の同僚で
死んだ虫の魂をあつめているそうです
集めた魂のぶんだけ蛍の光は大きくなります
そして限界まで光を大きくすると
自分も死んで集めた魂も一緒につれていくので
蛍の命も短くできているそうです


光を大きくした蛍は
死神の前で一回転すると
夜空の向こう側へ次の魂を探しに行ってしまいました
死神はしばらく空の向こうに手を振り
私も涙目の息子の肩を抱いて夜空の向こうを眺めました


話はこれで終わりません
息子の昆虫採集への情熱は
生命の神秘をうけてますます燃え上ったようで
あいからず虫を捕っては涙しています
そして
今日も携帯を取り出すと


“かえりみちでほたるをとってきてください”

という死神のメールが入っているのです





自由詩 死神と私 −蛍の光− Copyright 蒸発王 2006-02-19 21:00:29
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死神と私(完結)