哀しみの夜に 〜僕を励ます十五年前の唄声〜
服部 剛


    私は今まで
    気まぐれな風に吹かれるたびに
    力なく道に倒れていた

    だが、夢を追うということは
    眼前に漂う暗雲を
    光の剣で貫いていくということだと知る

    私は弱く醜い独りの人間である
    本当に人を愛するということは
    容易いことではなく
    何かを生み出すということは
    苦しみが伴うことを知る

    降り続く雨の中で
    吹きつける風の中で
    びしょ濡れになりながら

    夢を追う者よ
    痛んだ胸に手を当てて

    ゆっくりと立ち上がれ 





 私は、弱い人間である。この深夜に、独り呟く声に耳を傾けるよ
うにこの手紙を読んでくださるあなたを私は友と感じる。 

 今日、夕食を食べた後に放送していたテレビ番組で、余命三ヶ月
と診断された看護婦が病を克服し、生かされている自分に与えられ
た使命を感じ、現在も重病人の傍らで看護婦の仕事を続けている人
の物語を見ていた僕は、「今の自分が悩んでいることよりも、ずっ
と辛い絶望の淵から蘇り、生きている人がいる・・」と思い、胸の
奥に眠っていた「生きる力」が静かに湧き起こるのを感じた。それ
と同時にこの物語の看護婦の生き方に、自分の生き方が恥ずかしく
思えた。 
 心貧しい者でありながらも、私は老人を介護する者であり、詩を
書く者である。この世で生きるということは、時に若き日から胸に
抱いていた夢を、泥で塗られることがある。それは自分自身の手が
汚れているからであり、関わる誰かの手が汚れているからでもあり、
そして、それが自分を含めた「人間の姿」でもあるからだ。その現
実が、私は哀しい。私は傷つけ合うために、老人介護職をしている
のでも、詩を書いているのでもない。
 だが、真の夢(志)を追うならば、弱っていた足で立ち上がらね
ばならぬ。くじけることのない汚れた両足は、ひとすじの道を歩み
続けねばならぬ。背負った鞄には、まだ見知らぬ人々へ宛てた無数
の「詩」という手紙がつまっている。貨物列車が深夜も走り続ける
ように、私も歩み続けねばならぬ。 

 今朝は同志である、唄歌いのホームページの日記に、明るいその
人が普段見せない哀しみの言葉が呟かれていた。その文中で渡辺美
里の代表曲である「MY REVOLUTION」という唄についてふれていた
ので、さっき僕も、埃のかぶった古い渡辺美里のCDを引っぱり出し
て、部屋の明かりを落として「ぼくでなくっちゃ」と「BELIEVE」
という歌を聞いた。


    ぼくでなくっちゃ ぼくでなくっちゃ
    きずついたこころ とじないで

    夢を夢のままでは終らせないでいて
    人は違う痛みに胸しめつけられて
    この川の流れを越えていく


 独り静かに哀しみを抱いていた今夜の自分を、十五年以上前の懐
かしい渡辺美里の唄声が、いつも傍らにいる友のように励ましてく
れた。 

 さぁ、静かなる炎を胸に秘めて、口を結んで歩こう。目の前に続
いてゆく道の先に一つの扉が立っている。全ての夢を追う者は、あ
の扉を開かねばならない。 



 * 歌詩は渡辺美里「ぼくでなくっちゃ」「BELIEVE」より引用。 








散文(批評随筆小説等) 哀しみの夜に 〜僕を励ます十五年前の唄声〜 Copyright 服部 剛 2006-02-17 02:15:54
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