うさぎボール
第2の地球

小学校からうさぎを盗んで 蹴り殺して捨てるという事件について



ボールとうさぎを間違えるのに 
必要な力は 想像力である
ここに働く想像力は プラスでなくマイナスであるが
プラスという性質がある以上マイナスがあるのだから
寧ろ
想像力が欠如する存在を想像するしかないという意味で
想像力を働かせねば ならない


わたしほど 想像力が働きすぎると こんどは
もうボールもうざぎも丁度おなじだけかわいそうになって 勿論蹴れないし 
大地を踏みしめるにも 「ごめんねえ・・」と言わなくてはならなくて それはそれで面倒な毎日であったりもする

さて この「うさぎかわいそう」というのも 激しくおこがましいのであって
うさぎを蹴るのと同じくらい うさぎに失礼だ
気が向いたらにんげんは うさぎを捕まえて うさぎコートにしたり 夕ごはんにしたりする
被害者意識満載で 都合のいい想像しかできないにんげんは
うさぎに喰われたほうがいい

そういえば うさぎが 気が向いたときに 火の中に飛び込んでその身を炙って 食べてねえ はぁとという説話があるように
逆の説話として
気が向いたときに うさぎを蹴るのも 仕方のない話だ
にんげんだもの はぁと

これを悪人正機説と いうのか いわないのかは まだ教えない


にんげんはみな善人であると 同時に悪人であるという
両面性を持っている

昨日うさぎを助けたにんげんが 今日はそのうさぎを喜んで食べる 食べた後にやっぱりかわいそうになって お墓を立てて きまぐれににんじんを置いたり 涙をこぼしたりする でもたいていすぐ忘れる

このように にんげんの精神は不安定である

うさぎを蹴って そのまま何も感じない にんげんは じつは どこを探してもまだ発見されていない
にんげんの精神の構造は 21センチュリー現在 そこまで効率的にはなっていないからだ


要するにいいたいのかいいたくないのか 
もう 忘れているのが にんげんのいいところだけど

命を冒涜しながらも 生きていかなければならないのは
にんげんに生まれて 実によかったと思わせられる瞬間なのだ


夜です あたらしい夜です

うさぎがどんな生き方をしたかったかは うさぎに聞いてほしい
中村うさぎみたいに ホストクラブでどんぺりいれたかったかもしれない
月のうさぎみたいに 一晩中 もちをつく苦行をしたかったかもしれない
でもやっぱり きっと嬲り殺されたくはなかったろうとは おなじ生きるものとしておもう


散文(批評随筆小説等) うさぎボール Copyright 第2の地球 2006-02-16 01:32:24
notebook Home 戻る