初期詩篇選集「尾行者の音楽」
岡部淳太郎

     ふと思いついて、昔書いた詩を投稿してみま
     す。一九九〇年から一九九四年ぐらいまでに
     書いたものを、自分の中では「初期詩篇」と
     呼んでいます(それ以前に書いたものはさし
     ずめ「原始詩篇」とでも呼ぶべきでしょうか。
     笑)。ここではそれらの中から六篇を選んで
     投稿します。なお、冒頭の「運命の人へ」は、
     某ラジオ番組の四行詩のコーナーで朗読され
     たもので、僕の詩の中でもっとも早く発表さ
     れたものといえるかもしれません。




運命の人へ


失礼ながら
僕はあなたを存じあげませんでした
実を云うと
まだ出会ってさえいないのですが



どこか遠くで


道の終着点の
大きな街路樹の下に坐りこんで
通り過ぎる群集心理を見つめている
真っ白な空のオブジェ頭上に寝そべり
鳥たちがその間をぬって飛ぶ
誰もが誰かにひそひそ囁き
その固まりはざわざわざわめいてひとつになる

ふと幻を見たような気がした
新聞の社会面と世界地図の間に
どこか遠くで
大きな旅人が砂漠を乗り越えている

平和な街で
どこか遠くの土地を思う
世界はひとつ 僕たちはひとつ 僕や君はそれぞれにひとつ
空がすっぽりと地球を覆っている
群集心理はそれぞれの都市で勝手に動いている

道の終着点の
大きな街路樹の下に坐りこんで
この街とどこか遠くの場所を二重映しにして見ている
観察者としてのわが人生
僕はひとまずペンを置き群集に微笑む
彼等が赤信号の前で立往生しているその光景に
さっきの幻が重なる
どこか遠くで
大きな旅人が砂漠を乗り越えている



Piannissimo Through The Night


ほら 夜だ
きみのこころに たいようのかすかななごり
ふと きづいてみると
夜におきているのは きみひとり
りんじんたちの ねいきが
かすかに 夜のはをそよがせる

きみのこころのおもい
それは夜をてっしてずっと
しずかに けれどもとてもつよく
ひるまのなごりを かすかにとどめて
みみのはしでひびく ピアノのおと
やさしい最小音
くうきのなかで がいとうのしたで
ほしぼしのしたで 夜のとけいのしたで
かすかにひびく ピアノ・バラード

そして 夜は
いつしか まんなかをすぎて
ふと きづいてみると
ほら 朝だ
きみのこころに くらやみのかすかななごり
朝におきはじめた きみのりんじんたち
いちにちのざわめきが はじまりだすそのよこで
きみのこころに いまだにひびく
やさしいピアノの かすかな
最小音



歌声


歌声 空にとける
鳥は知る
法則と想念の間でゆれる
歴史のあやうさを

歌声 雲にとける
人は知ることはない
自らの欲望がどれほど強く
未来をゆさぶるかを

それでも人は歌う
時間の壁に囲まれ
名前のつけられない悲しみについて

それでも人は歌う
歌うしか途はなかった
それ以外の途は閉ざされていた



歌声 風にとける
鳥は知る(知らなければ飛べないのだ)
どのメロディーが大気をふるわせるかを
どのリズムが大地を鼓動させるかを

歌声 陽にとける(こだますることなく)
人は知ろうと試みる
互いの弱点も知らないまま
自らの知識の総和について

そして人は歌う
簡単な翻弄につまずき
鳥が落ちるのを夢に見ながら

そして人は歌う
その歌声 夜にとける
知らないほうが幸わせだった



尾行者の音楽


気がつくと いつも夕暮れだった
街の中 ビルディングの長い影に包まれて
他人の背中を見つめていた
他人の背中は よく冷えていた



この頃 私は背後に人の気配を感じる



だから俺は追い駈けた
遅れていても進まなければならなかったので
「初歩の尾行術」という本を買ってきて
必死に研究をつづけた



この頃 私は背後に視線と足音を感じる



誰かの後ろを追い駈けている
俺にとって音楽は スロウ
その旋律を路上にたれ流し
泣きたい気持ちで 俺は歩く



私は誰かに尾けられているのではないだろうか



どうかふりむかないでくれと願いながら
俺は尾行をつづける
気づかれないように まかれないように
俺の音楽はいつも スロウ



やっぱり私は誰かに尾けられている



俺はいつも追い駈けている
わかるか この疲労が
遅れた者だけが聴く音楽は スロウ
街のふところで先導する者と尾行する者 ふたり



先導者と尾行者はいつか
どこかの曲り角でばったり出会うだろう
その時こそ 互いの胸の中の音楽は
ひとつの和音へと変わる



系図


いま、あの果てからこの果てへとつながる系図。俺という
主語は意味を失くし、個人は体系の大きな鎖の中に幽閉さ
れる。回れ。回るんだよ。ぐるぐる回って溶けるまで回り
つづけるんだよ。死ぬまで躍りつづけるんだよ。人間よ、
それが宿命さ。運命じゃないよ。宿命さ。偶然じゃないよ。
必然さ。これがごく自然なことで、誰も不思議に思わない。
それがひとつの罠だと、警告するのはただの世間知らずさ。
宿命だよ。これがお前の系図だよ。樹木の列さ。さあ、乗
っかっていけよ。流れ下っていけよ。まわるメリーゴーラ
ウンド。楽しいだろう、回ることは。

いま、あの世からこの世へとつながる系図。伝統のために
打撃する、いまの個人。俺たちの背中には御先祖さまの霊
がへばりついている。守護霊への日々の感謝。根から養分
を吸い取っているんだから、当たり前だろう。そのおかげ
で生きていられるんだから、お前はお前のままではいられ
ない、お前はお前に戻れない、というのも道理さ。自分の
手首をナイフで傷つける厭世。赤い血は時の連結。そこで
お前はその連結を切り離そうというのか。何という親不孝
者だ。馬鹿め。血の連結は連血で、お前は絶対に逃げられ
ないぜ。見るがいい。そこにはお前の父と母が歴史を背負
って立っている。その奥には更に父と母、どの果てまで行
っても、そのぶん古い父と母。この連血は永遠だ。それが
お前の宿命さ。終りのない、どこまでも分かれてゆく一行
の枝。淋しいだろう、ひとり切られることは。

いま、この果てからあの果てへとさかのぼる系図。俺の種
はどこにある。俺の土壌はどこに広がっている。始まりは
どこか。終りはいつか。さあ、回るんだ、人間よ。自らの
足下にぐらつきながら、どこまでも回るんだ。自らの因縁
に脅えながら、いつまでも回るんだ。太陽の下、お前の血
の系図が透きとおって見えるのが、それが宿命。






自由詩 初期詩篇選集「尾行者の音楽」 Copyright 岡部淳太郎 2006-02-12 00:18:57
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