死神と私 −朝の卵−
蒸発王

“朝は優しく起こしてください”
というのは
寝汚い死神のきまり文句です



名付け親の死神は寝起きが最悪です
五個の目覚ましなど死神の眠りの前では無力なので
死神を全力で蹴り起こすことが私の朝の仕事です


その寝起きの悪い死神は春になると早起きになります
早起きをして何をしてるのか知りませんけれど
死神が早起きをするようになると
ああ春が来たなあと感じるのです


しぶとく残っていた冬が初春の夜に
その不親切さを凝縮して雨を降らせた
夜明け
前髪を引っ張られて死神に起こされました
何か色々と言われたのですが
寝起きの頭では分かる事も分かりません


とりあえず言われるままに屋根を登ると
空は未だまどろんだ瑠璃一色で
月がほんのりと提灯のような光を抱いています
其の瑠璃の彼方に白濁の丸い膜がうっすらと張っています
よく見ると卵の形によく似ていました
卵はどんどん膨らんで私達にせまってきます
叫び声をあげそうになった私の唇を死神はしっと押さえて


“朝は優しく起こしてください”


と囁くと
直ぐ近くまで膨らんできた卵の表面に
とん    とん   と触れました


触れられた処から朝の卵がふつり と破け
中から朱色の虹彩がとろとろと流れ出ました
朱色は瑠璃色の空の底へまんべんなく流れ込み
先刻まで白かった朝の卵の殻は黄色くなり
春一番の風に飛ばされて空に琥珀色の雲を作りました


朱色と黄色の虹彩が
憂いを含んだ瑠璃色の空を焼き尽くし
その焔の光が凍りついていたわずかな星を溶かしていきます
ついに夜空が壊れ
夜の長い腕は落ちてきた大きな夜空を抱きしめ
満足げに地球の裏側へ立ち去って行きます


朝焼けです


死神は孵化したばかりの朝焼けに
冬の間に回収した人魂を投げ込みます
朝焼けに食われた魂は
また次の輪廻の輪に組み込まれるそうです


死神は大きな朝焼けを嬉しそうに眺めていました
私はというとすっかり感動してしまい
春の間朝の卵を起こす仕事を買って出ました
でも
どういうわけか私が起こした朝の卵は
どうも不恰好な朝焼けにしかなりません
死神を蹴り起こしている私です
優しく起こす事ができていないのかもしれません

もし
春の朝に不恰好な朝焼けを見たら私の失敗作です
恥ずかしいからあまり見ないで下さい

もちろん死神は
そんな朝焼けを見ながら


“朝は優しく起こしてください”


と笑っているのですけれども










自由詩 死神と私 −朝の卵− Copyright 蒸発王 2006-02-09 17:00:45
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死神と私(完結)