詩の窓は私の中に開いている
umineko

ずいぶん前からネットでダイアリとか書いているけれど、プライベートなことはほとんど書いてない。これはもう、はっきりとフィルターかけています。今はミクシもやってて、そっちのほうでは10センチくらいフィルターが低いのだけど、それだって別にトクベツなことを書いてるわけでもないよ。

自分の内的な部分を正直に書き記すってことは、あんまし必要性がないんだよね。ほんとにしたけりゃパソコン内部だけで完結すべきかも。可能性として、ネットは無防備な媒体ですから、そこに色々な磁場が発生する。それを軽んじてはいけないと思う。ネットはあくまでもリアルな日々を色づけるためのアイテムであって、それを自分の望まない方向にゆがめてしまうことがあれば、それは不幸なことだと思うんだ。

嘘だってずっとついてくれてていいと思うよ。私はそれを信じると思う。私の意識下に置ける部分についてね。でも、私は私のすべてをコントロールしているわけではないんだ。私の意識下に、私の力ではどうしようもないマグマのような部分があって、たとえば私たちが草原で寝っころがって、あー気持ちいいーってやってるその何キロメートルか下、数千度の溶岩がのたうっていることに気付かないように。

その意識できない部分をなるべく自然にまかせていることが、大切なんじゃないかって思うこともあるんだ。自分はもともといわゆる理系の思考回路で、そういった理論めいたことが好きなんですけど、そうじゃない部分も世界にはたくさんある。わからないこととどんな風に折り合いを付けていくかということも、自分にとっては大切なテーマだったりも、する。

アートっていうのはさ。そういった、意識できない部分とシンクロできる楽しさがあると思うんだ。絵画や、音楽や、文学。自由詩っていうアートフォームは、自由である分、その具現化にかなり近い存在だと思う。「恋は人を詩人にする」っていうのはおそらくそういうことで、恋愛というある種の混乱が、それを秩序化しようとして、すなわち意識下に置こうともがくことで、このアートフォームが励起されるんじゃないかなって。

私は。私の中でまだ形を持たずに渦巻いている「何か」をみてみたい。詩はそれを予言する。一時期、ちょっと詩が書けない時があったんだけど、それはなんての、アプローチがちょっと違うんだよね。何か見つけなくちゃって思い過ぎて、だけどそれは届かないことだった。わからないことはわからない、でも、私がもっている「何か」がなくなってしまうわけではない、ということ。

私はこれからも書き続けると思う。こんなふうに、ネットの海にね。

詩の窓は私の中に開いている。

あとは。目を凝らすだけだ。





散文(批評随筆小説等) 詩の窓は私の中に開いている Copyright umineko 2006-01-29 19:19:03
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