カジュアルなポエムをという思想
モリマサ公

触覚で考えてみるとこうだ
たとえばいまきみが四六時中スーツである必要があれば世界は終末をすでにむかえている
そんなときは生き残っている事実を中心に思想を固めるべきだとわたしはおもう
今はまだシャワーをあびるために服を脱ぐ必要もあるし
ときに人肌をもとめることを否定してはならないとおもいたい
季節に合わせその重さ軽さをチョイスして
そうしてわたしたちは個人のライフスタイルに毎日をすりあわせていく
ということはこうだ
やわらかくて着心地のいい清潔さでワードローブがうずまるのが理想
肌に近い部分にかんしてはとくに
アウターにかんしてはこうだ
ここがこうでなきゃというひとはそういうふうに
そんなものはないというひとはそんなものはないというふうにそろっていく
わたしたちはたしかこういうふうにポエムをえらんでいる
会社にはスーツでせめて襟のあるシャツで
はみでればだらしなく
葬式では黒い服を着る
ここはそういうふうな場所だ
家でTシャツとパンツの部長はそこにはそんなにこだわりがないのだ
そしてそのセンスを問うことに意義ある場所に立つものはそれを行う
まちのファッションリーダーたちがそれをするように
わたしはといえばこうだ
できるだけ日常的なデザインにすぐれたタイプで
しかも季節ごとの行動パターンによくあう
スタイルがよくみえそうなセンスいいポエムを
そうしてそれ以外のポエムはそんなに必要ないのである
動きにくくなるから
親しい人が亡くなったり
親しい人が誕生したりとかいった
特別な場合をのぞいては
ここにあるのはそのカジュアルなポエムをという思想
そこに立つことの価値はあるんじゃないかなってことだ








散文(批評随筆小説等) カジュアルなポエムをという思想 Copyright モリマサ公 2006-01-06 12:19:39
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