時計の針は戻らない
和泉 誠

上京した弟が半年ぶりに戻ってくる
迎えに行くついでに挨拶に立ち寄った
離れて暮らす祖母の家
久しぶりに二人が我が家にやってきた

今夜はすき焼きとお寿司
コンビニ弁当とファーストフードには
うんざりしたと洩らす弟のため
元旦というので祖母は一人で作った
黒豆となますを披露した

弟のコップに親父からビールが注がれる
僕は母さんと一緒にコカコーラ
ゴクゴクと喉を鳴らして飲んでから
弟は東京での話をする

帝国ホテルでの出版社の忘年会
著名な先生達が集まって
大好きな先生からサインをもらった

喧嘩をすると絶対僕には勝てなくて
泣いてすねてばかりいた弟の面影は
もう少しも残ってはいない

あんたこれ食べなさい
母さんは誰も箸をつけていない黒豆を
スプーン一杯に僕の皿に盛ろうとする
そんなに食べないと僕は抗議した

話についていけずに
寂しそうにただ料理を食べる祖母
たまに会話に紛れ込む言葉はトンチンカンで
そうだそうだとそれに頷く親父の言葉も的を得ない

誰も箸をつけていない黒豆となますを
一人で黙々と食べる母さん
それを見習って僕も自分の皿に
こんもりと盛られた黒豆に箸をつける

私は小さい頃を思い出していた
昔は正月になると親戚みんなで一緒に
祖母の家ですき焼きを食べた

おじちゃんがすき焼きにお酒を入れて
酔っ払ってしまうんじゃないかってワクワクした
僕、弟、いとこのたっちゃん達子供軍団は
すき焼きを突っつくのを早々に切り上げて
自分達だけで遊ぶために部屋を出て行った

子供部屋で作戦会議
どうやったら今夜おばあさんの家に一緒に泊まれるか
みんなで知恵を絞った

そうだ芸をして大人達を楽しませればいい
僕は歌って、弟が踊って、たっちゃんはタンバリン
あすみちゃんはピアニカ、さやかちゃんはリコーダー

なんだなんだ?お前達
今から発表をします
変なおじさんだから変なおじさん
変なおじさんだから変なおじさん
だっふんだ
わあー逃げろー

もう二度とは戻ってこない
あの頃の無邪気な笑い声
今の自分と引き換えにあの頃に戻してやろうか?
そんな悪趣味な取引はなしだよ

僕の大切な思い出なんだ
それだけさ


自由詩 時計の針は戻らない Copyright 和泉 誠 2006-01-01 22:13:58
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