初出:
ウエノポエトリカンジャム3 公式パンフレット「Iu(イウ)」(2005年夏)
(
http://www.upj.jp/)
「詩なんかよく知らない人にネットの詩について伝えるメッセージ」で依頼を受ける。
「ポエムなんて。。。」と思っている人たちはいっぱいいる。世間でポエムと言えば、相田みつをだったり、どこかの自傷少女がノートやネットの片隅に書く暗い暗い文章だったり、夢見がちなキモイ人たちが書く愛だの恋だの人生だのといった自己陶酔文章だったり。そりゃー、もちろん、そんなの誰が見ても引きます。敢えて言い切ってしまうなら、ポエムを書いている人間でも、そういうのは、引く。それだけがポエムではない。それを知っている人は少ない。そして、知らない人が「ポエムなんて。。。」と思っている。
SMAPの稲垣吾郎がポエトリー・リーディングに興味を持っていたりする。佐野元春はずっと昔に朗読CDを出している。THE BOOMの宮沢和史は歌詞集を、小説家の江國香織も詩集を出し、小泉今日子が帯で紹介文を書いている詩集だってある。国民的詩人、谷川俊太郎の詩はCMで流れ、本人の文章だってCMに提供される。それと同時に、ポエムは世間で物笑いの種として扱われ、漫画やドラマやテレビのニュースなどでキワモノ扱いされるシーンもときどき見かける。
かつてフィギュアは、オタクだけのものだった。「フィギュア集めてる」ってだけで後ろ指さされていた。けれども今は、コンビニで普通に手に入る。コレクションのためにお茶やジュースを買い込んだ人も多いはず。この変化は、何? いつの間に何が変わったのだろうか。
インターネットにもポエムは溢れている。とてもじゃないけど全部見て回れないくらい。そしてその中ではやはり「ポエムなんて。。。」というタイプが多いことを否定はしない。と同時に、様々な無理解を覆す力を持つ作品や作者が埋まっていることも否定しない。ほんの、ちょっとしたきっかけで、状況がガラリと変わることを私たちは知っている。いろいろな場所でそれを体験している。だからこそポエムにもそれが起こる可能性を多くの詩人たちが模索している。このイベントだってそのひとつだし、同様に、ネットに溢れているポエムだってそのきっかけになる可能性は十分にある。と思っている。
Hello----,Hello----.
けれど詩人たちはそれを押し付けたりしない。押し売りは誰だって迷惑だ。ただ、良い物だけが残っていく。残されていく。はずだ。それだけだ。
Hello----,Hello----.
詩人たちは様々な場所で声をあげている。つぶやいている。それは決して「見て!」という声ではない。そうではなく、「私たちはつながりますか? つながっていますか?」と、つぶやいているのだ。
Hello----,Hello----. 私たちは今、つながっていますか?