独り言(視覚詩の題名ってものについて)
ふるる

ひとりでぶつぶつ言っています。

ベルギーの画家マグリットは言いました。
「私の絵の題名は説明でないし、絵は題名の図解ではない。題名と絵のつながりは詩的なものである」

いい。いいねーと思ってしまいます。
例えて言うなら、絵と題名の関係を、カレーライスとメニューじゃなくて、カレーとライスにしたという感じでしょうか。
どっちも大事、どっちがなくても駄目、両方あってよかったな。という。

詩の題名もそんなふうなのあったら面白いと思ったり。

でも、題名ってだいたい、本の題名と同じように、詩の内容(テーマみたいなのや雰囲気)を予告するものだったり、便宜上のものだったり、読者の注意を引くためのものだったりする。
と、だいたいの人は思ってると思う。
作者が、
「この詩はね、題名とセットなの。詩と、題名の間にも、詩があるの。そういう風に読んでちょうだい。」
と思っても、
読む方は
「なんじゃこりゃ、詩と全然関係ない題名じゃん」
「全然意味分からないじゃん」と言って、なかなかそういう風には読んではもらえない。

どうかな。。。


で、急に視覚詩の話になりますが、視覚詩の題名は、まさに、そうあって欲しい。
つうか、題名が全てとは言わないまでも、結構重要じゃないのかしらんという気が、たった今してきましたよーー。
だってさ、字で絵を書いているみたいなものなのに(もちろん、絵とは違います)、それにちゃんとした意味のあるように字で題名を書くってどうよ?反則じゃないの?そんなら、それなりの役割をあんたにも背負ってもらうよ。題名さん。と私なら言いますね。

まだ考え途中でよくわかりませんが。

おわりです。

追記
ところで、音楽と題名の関係ってどうなんでしょう。
サティなんかは、「(犬のための)ぶよぶよした本物の前奏曲」とか「なまこの<乾燥胎児>」とか、キテレツなものがありますが・・・。

音楽と題名の関係について、ある方からサイトを教えてもらいました。

http://blog.heartlogic.jp/archives/000330.html
「絶対音楽と標題音楽」というので、
「「だれそれの交響曲○番」のような呼ばれ方をする曲は、題名をつけないことで特定のイメージを持たせず、純粋に音楽そのものを表現する音楽で、「絶対音楽」と呼ぶのだそうです。それに対して、「牧神の午後への前奏曲」のような題名は、音楽でそのイメージを表現しようとしており「標題音楽」と呼ぶそうです。」(抜粋 原文ママ)
だそうです。

色々ですね・・・。正解はない・・・。



未詩・独白 独り言(視覚詩の題名ってものについて) Copyright ふるる 2005-11-21 15:23:25
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