視覚詩と北園克衛 (と私の好きな視覚詩)について
ふるる

前回の、視覚詩のお勉強の続きです。

○北園克衛の視覚詩

北園克衛は日本の視覚詩の先駆者で、ヨーロッパなどで視覚詩がさかんになったのと同じ時期に
(またはもっと前?北園克衛主催のモダニズム詩の拠点「VOUクラブ(と詩誌VOU)」は1935年出発、コンクリートポエトリーがさかんになったのは1955年だから。戦前にすでにそういう詩誌があったというのは、とんがってますねー。詩が今よりもっとさかんだったという証拠とも言えるかも)
独自でそれを作っています。
氏の主催で発行していた詩誌「VOU」は戦前から1978年の北園氏の死まで、160号まで発行され、現在も「VOU」の流れをくんで活躍していらっしゃる視覚詩人は色々いらっしゃいますし、2002年には、生誕100年記念イベントなども催されたようです。「VOU」と対立関係にあった「ASA」とその主催者新国誠一については・・・よく調べていないので、またいづれ。
そんな北園氏の視覚詩は言葉によるものもありますが、写真によって作られているものもあります。

氏は自分の撮った写真のことを、コンクリート・ポエムよりやわらかいということで
プラスティック・ポエムと言っています。なんかお洒落。

私は美術作品の写真と、詩の写真の明確な違いが分かりませんが、色んなところで目にするように、詩は時間が流れていないといけない、んだとしたら、ちょっと分かるような気がします。
写真が一瞬の美を切り取って後は静止している緊張感があるものなら、詩の写真は一瞬の美を切り取って後は時間がさらさらと流れている、詩特有のものがあるんじゃないかと。
氏の視覚詩(写真)にそれがあるかと言われたら、そうかもとしか言えないど・・・・。
こちらの、下の方に写真があります。↓
http://bunko.tamabi.ac.jp/bunko/kitasono2002_trial/k-tate.htm#1a

○それもありだと思うけど、私が好きな視覚詩は・・・

それもいいなあと思うのですが、私は詩の重要な要素として、文字(か文字のような記号)と、文字によって浮かび上がった余白というのがあると思っているので、視覚詩から文字(か文字のような記号)を排除するのはいやです。
(ちなみに、文字の造詣の美しさ・・・というのにはあんまり重きはおきません。というか、それは書道でやっているし。)
かといって、文字を完全に「もの」として見て、文字の意味を問い直す、とか文字の面白さを発見とか、文字自体に重きを置いたのもなんか微妙に違うと思っていて・・・。
オイゲン・ゴムリンガーと言う人の、「沈黙」なんか、意味的にも絵的にも「沈黙」を感じさせて美しいんだけど、ちょい、おしい、止まってる、もうちょい、時間が流れて欲しい、みたいな感じで・・・・。
「沈黙」はこちら↓
http://bunko.tamabi.ac.jp/bunko/kitasono2002_trial/k-tate.htm#1a

どっちかというと、見た目と意味(を持った詩)のベストマッチングみたいなものを見たいし、知りたいし、作ってもみたい。
分量的には、見た目50%、意味50%の均衡を保っているのが理想です。
見た目の美しさにだけ偏るのではなく。意味のつけすぎにも注意して。

そういうので成功していると思ったのは、入沢康夫さんの「わが出雲わが鎮魂」の中の、
クロスの中にある詩。見た目もきれい、余白もばっちり、
形も交差、詩の内容も交差してるし。なにより、書いてある詩が形の美しさに負けないほどすばらしい。
うーん、褒めすぎ?
こちらで見れます。↓
http://asajihara.air-nifty.com/photos/picbook/wagaizumo2.html

さて、ところで詩の余白ということに最初に着眼した方は1900年に活躍した詩人のマラルメさんらしいのです。
多分、私がどっきんこした視覚詩も、この方が書いたものだと思うのですが。
(夜の魚の夢というやつ。うろ覚え・・・)
この方、詩人では超有名人らしいのですが、名前しか知りませんでした。
また、勉強したら書きます。

続く。

追記
現在視覚詩には色々なものがあって、これ完璧絵じゃないかー?というのや、詩を時系列に沿って読ませない(読み方への問題提起)、とか、詩が作られる過程に注目ー。というのがあるのですが、(と言い切るのは少々乱暴ですが)
それはあんまり興味ないから暇ができた時にします。
方法詩は、見た目や意味よりも、詩を作る方法の方に重きを置いているようなので、それも視覚詩からは外します。(見た感じきれいと思ったんですが)

何か補足や訂正がありましたら、なんなりと、よろしくお願いいたします。





未詩・独白 視覚詩と北園克衛 (と私の好きな視覚詩)について Copyright ふるる 2005-11-19 17:41:33
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