オイカワ
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 オイカワとは鯉科の淡水魚で、産卵期の雄は虹色に輝く。それはあたかもペットショップの水槽で泳ぐ熱帯魚のようである。主に河川の中流や湖に生息している。
 私が初めてその実物を目にしたのは、富士五湖の最深部にある本栖湖で泳いでいたときのことである。
 それはかの地に『日本船舶振興会』の練習場ができた頃のことで、赤や黄色のカラフルな競技用ボートや練習中の煩いエンジン音は、それができる以前より辺りの野趣を削いだが、それでも湖水の青は十分に山上湖に特有の神秘性を湛えていた。
 練習場から少し離れた湖畔には元従軍看護婦の老婆が管理するバンガロー群があった。その辺りは原生林に囲まれ、他に人の暮らしを伝えるものは見あたらない。バンガロー群は何故か〈クリスチャンキャンプ〉と呼ばれていた。
 母親の実家がクリスチャンで、その老婆とも親交があったこともあり、私は、中高生時の夏休みにはそのバンガローに泊り込み、友人たちと数日を過ごすのが慣例であった。
 あの辺りは一帯が高原になっていて、夏でも青空が広がることは滅多にない。しかしその日は珍しく朝から雲ひとつなく、対岸の原生林の向こうには富士山がくっきりとそびえていた。それでも湖の水温は低く、友人たちは水にはあまり浸からずに岸辺に打ち上げられた流木を集めて燃やした焚き火にあたってばかりいた。都会のもやしっ子どもめ。私は当時、水泳部に所属していたし、寒さに強い体質と自負していたから、日が高くなると水に入り泳ぎ始めた。友人たちにマッチョなところを見せたい気持ちもあった。
 本栖湖は、太古から吐き出されてきた富士山の溶岩が蓄積したせいか、あるいは水温が低すぎるせいか、岸から近いところで素もぐりしても、魚はおろか水草さえ見えない。
 しかし、それは突然おきた。
 空腹を覚えた私は、水から上がり焚き火にあたりながら、キャンプの老婆がつくってくれた山菜を具にしたでかい握り飯を頬張った。食後の一服のハイライトを吸うと、長袖のトレーナーを着込みギターを弾いて軟弱なフォークソングを歌っている友人たちを尻目に、私はまた湖に入っていった。
 楕円形の水中メガネをつけて潜ってみる。するとさっきまで生物の気配がしなかったことが嘘のように魚が群れている。「なんだ?」と眼を凝らすと、魚類図鑑で見たことのあるオイカワである。青い水中に無数のオイカワがひらひら舞うように泳いでいる。それは以前にTVで見た、人間を寄せ付けぬ秘境の映像のようであった。浅瀬の岩場では雌が産卵していた。岩に付着した卵に婚姻色に染まった雄が精子を撒いている。その辺りは水が白濁するほどであった。私は岸に上がり、急いで湖畔の雑木の根を掘りミミズを探した。餌を確保し、釣り支度を整えて水に胸まで浸かりながら竿を振った。  
 入れ食いといってよかった。海パンに括りつけたビクに二十尾ほど貯まると水から上がり、登山ナイフで獲物の鱗とはらわたを取り除き、木の枝に刺してから塩をふって焚き火にくべた。
 魚が焼ける香ばしい匂いが辺りに流れ、いよいよ野趣に満ちてきた。私は良い具合に焼けた一尾にかぶりつく。が……不味い。驚くほどに不味い。苦くて食えたものではない。これではせっかくの山菜の握り飯も台無しである。
 私のささやかなナルティシズムはもろくも打ち砕かれた。
 私はニック・アダムスのようではなかったのである。
 友人たちは焼けた魚には手をつけずに冷ややかな表情を私に向け、カップラーメンを啜っていた。 


                       〈了〉

 注:ニック・アダムス/へミングウェーの書いた短編に「ニック・アダムスシリーズ」と呼ばれる短編群があり、ニック・アダムスはへミングウェーの分身とされている。



散文(批評随筆小説等) オイカワ Copyright MOJO 2005-11-19 04:17:20
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