回想
しらいし いちみ 

母が癌で去って六日目に父が倒れた。
病名は白血病だった。

父は門限や勉強に、容赦しなかったので一時確執のような物も
生まれた事も有り頑固で頭の固い父だと思っていた。

その父が入院したので一日一回顔見せと着替えなどを持って病院に
通った。
当時はトラックの運転手をしていたので比較的時間に融通が利き
病院へ行くことが出来た。
困ったのはトラックを停める場所が無いことだったが近くに博多の
台所、中央市場があり其処に断わって駐車をさせて貰った。


仕事の休みの日、私は父が好きな煮魚を持ち夕食に間に合うように出
かけた。
半分食べ残したので味が悪かったのかと心配したら、余りに美味しい
のでまた明日に半分食べると言う。
ニコニコ笑って美味しそうに好物の煮魚を食べる父を見て嬉しかった。


夕食を食べ終わると父は「もう暗くなるから早く帰れ」と言う。
夕方のラッシュと車の運転を心配して必ずそう言った。
私は笑いながら「プロやから大丈夫だよ」と何時も返事した。


エレベーターまで見送りに来るのも何時もの事だった。
もう良いからと断わってもトイレだなどと、言い訳しながら点滴の
瓶をぶら下げて見送ってくれた。


当時はずっと抗がん剤を体に入れなくては為らなかった。
多分辛くても私や見舞いに来た人にはそんな顔見せないで、見送り
していたに違いないと思う。


エレベーターに乗って扉が閉まりそうな時に目が合った。
父から「お前は一人か?」と訪ねられた。
予想もしない質問に戸惑って思わず小さく「うん。」と頷いて答えた。
帰宅しながら離婚して経つ年数を数えてみた。


その二日後に父は母の所へ急ぐように行ってしまった。
父が命のぎりぎりに自分の事より私の事を心配して放った一言だったと思う。
安心させない曖昧な返事に今でも後悔している。


だけどその父は私の心の中に沢山の物を置いて行ってくれた。
私は、この父母に生まれてきて良かったと胸を張って言える。


発症して四ヵ月半の闘病生活を手記に残しているが、読み返しながら
在りし日に思いを馳せる。



2005/3/23物書き同盟掲載




散文(批評随筆小説等) 回想 Copyright しらいし いちみ  2005-11-18 09:18:27
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