不幸自慢。
大覚アキラ
人間、ヒマ過ぎるのも問題だけれど、逆に忙し過ぎてもロクなことがない。何事も度を越すとダメなのね。
忙しさの中身も問題だね。例えば、美女からのデートの誘い引くあまたで忙しいのと、低脳クライアントとの打ち合わせが目白押しで忙しいのとじゃ、月とスッポン、天国と地獄、フォーシーズンズ椿山荘のスウィートと場末のラブホテルほどの違いがある。
ところで、「忙しさ」と「病気」「不健康」っていうのは、すごく似ている。
どちらも自慢の対象になるんだよね。
「あー、眠い・・・」
「なに? 徹夜?」
「うん、最近忙しくってさー」
「いいじゃん、一日ぐらい。おれなんかさー、もう2日も寝てないよー」
「うひゃあ! でも、おれも来週はマジで寝る暇ないぜ」
こーゆー具合だ。
虚しい。
同じような会話は病院の待合室に行くと耳にすることができる。
「トメさん、どないしはったん?」
「腰がねェ・・・冷えると痛くて」
「私はね、腰だけやないのよ。肩もひどいんよ」
「大変やねェ。でもね、私は腎臓も調子悪くて・・・」
「あらー、ほんま? 私も腎臓はあかんわ。おまけに肝臓」
「肝臓は恐いねェ。私も去年、肝臓悪くなって辛かったわ」
「この年やし、目ェも白内障気味なんよ」
「私は神経痛がひどぉて・・・」
とまあ、世の中どこでも、似たようなものなのかもしれない。
こーゆーのをひとことで集約すると不幸自慢ってやつになる。
要は「自分は他人より苦労している」っていうことをアピールして、それをネタに話題作りしているわけだ。「幸福自慢」をやっちゃうと、いろいろと妬み・嫉みを受けることになりかねないからねぇ。
不幸自慢のもたらす作用としては、たぶん次のようなものがあると思う。
・私のほうがまだマシ!
“下”を見ることで、自分の立場や境遇をより良いものと見なす。
人の不幸は蜜の味なのね。
・私たちは仲間!
いわゆる、同病相憐れむ、ってやつ。
いずれにしても、ネガティブな感情っていうのは、伝わりやすく、共鳴しやすいものなのかもしれない。
イジメのスタート地点にありがちな「あの子ってさー、なんか気に食わなくない?」っていうような発言が共感を呼びやすいのも、人間のそーゆー心理なのかもしれないな。
不幸とか怨嗟とか反感とか、そういう心理っていうのは、恐ろしいほどの感染力があるんだね。反対に、幸せを他人と共有するのは意外なほどに困難なことだ。
なーんてことをこーやって書いていると、携帯に電話が入った。
誰やねん、こんな夜中に・・・
「もしもーし! おれや、おれ!」
デザイナーの友人だった。
「何? どうしたん?」
「いやー、今ミナミで飲んでるねん!」
「は?」
「もー、今週毎日朝まで飲んでるねん!」
「いや・・・で、何?」
「ベロベロや! がはははは!」
「あのね・・・」
「肝臓がな」
「え?」
「ごっついねん、数値。ガンマGTなんとかゆーやつ」
「じゃあ、飲むなよ・・・」
「がはははは! 問題あらへんて、そんなん!」
「で、何やねん? 何で電話してきたの?」
「いや、あのな、今度な、一緒に・・・」
「ん?」
「あ。電源切れそうや! 今度な、あそこの店の」
切れた。
きっと、用事なんかなかったんだろう。
ヤツも不幸自慢がしたかったのかもしれない。