尾崎喜八「山の絵本」を読む
渡邉建志

■うしなわれたきよらかなものたち


君の土地。

その本はこの短い言葉で始まる。
「山の絵本」、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003114019/249-0077908-7493132
尾崎喜八。
http://kihachi.at.infoseek.co.jp/
忘れられ[た?/始めている?]詩人。高村光太郎の弟子(?)。だから、おなじく、現代ではうしなわれてしまったきよらかなものを、まだ詠えていた時代の人だ。

これは散文の本だ。彼は山の詩人と呼ばれた。そしてこれは山登りのエッセイの本だ。でも詩人の言葉で書かれている。時にリズムが心地よい。

 君の土地、それは本当に美しい。その美の所以を、その秘密を研究し看破するためにはもっと長い滞在が必要とされ、はるかに深い専門的な造詣と高尚な叡智とが要求されるだろう。
 今日の詩人は、その善き野心にもかかわらずその詩的汎神論的地文学への夢想にもかかわらず、決してタレースたることもヘラクリートスたることもできず、また実に一個のゲーテたることさえできない。イオニアの風は古代希臘の春とともにその白い廃墟の中で死んだ。現代は分化の時代、限界固持の時代、一切の食出(はみだ)し不能の時代である。 p.11(岩波文庫)


「一個のゲーテたることさえ」というのがすごい。ゲーテたることさえ!ここの文章のリズムは、やはり、リズムだなあとおもう。内容に関しては、まあそうですね、と。

さらにリズムについて。

 一天晴れて日は暖かい。物みな明潔な山地田園の八月の末。胡麻がみのり、玉蜀黍が金に笑みわれ、雁来紅の赤や黄の傍で、懸けつらねた瓢箪が白い。この土地で高蜻蛉と呼ぶ薄羽黄蜻蛉の群が、道路の上の空間の或る高さで往ったり来たりしている。
 私たちはのんびりした気持ちで村道を行く。 p.13


長い一文の最後が「瓢箪が白い。」とかがたまらんなあ、と思う。

それから、音楽を例に出すのがこの人の特徴だ。

シャンパンのように澄んで爽かな、酔わせる日光。ガブリエル・フォーレの、フランシス・ジャムの秋。健康な胃の腑が火串であぶった鶫(つぐみ)の味を夢見る秋…… p.14

すごいへんな組み合わせである、フォーレのような秋、というのは、フォーレ好きの私にはよく分かる。フランシス・ジャムhttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582760449/qid=1130168190/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/249-0077908-7493132というのはおいしそうな名前だが、詩人である。フォーレと並べられただけで、この人の詩を読んでみたくなるものではないか。調べてみたんだけど、

終生バスク地方に過ごした詩人フランシス・ジャムはルドンを尊敬し、一時仲違いはあったものの、ジャムの結婚式にはジッドと共にルドンも参列していた。

おお、おお!ルドンマニアとしてはこれはちょっと見逃せない詩人である!ルドンというのはオディロン・ルドン、フランスの象徴主義画家、ナビ派の憧れ的存在、最初は白黒で奇怪な夢の世界を書いていたのが、ある時代から突然色とりどりの華やかな夢の世界を描き始めた画家であり、私はこの異端(?)の画家をフランスの伊藤若冲とでも呼びたいのですが、とにかく私がいちばん好きな画家なのです。そうするとちょっとこのフランシス・ジャム氏は気になり始めたので、今度読むことにしよう。で、いまネット上見つけたフランシス・ジャムの詩の一つにこんなのがあります。すごいです。

「少女たちに愛されて死ぬための祈り」

おお、愛する少女よ、波間に浮かぶ白鳥の歌のように長い
愛の最後のすすり泣きのなかに、ぼくがおまえの
金色の肌の上で一瞬ふるえ、そして死にますように、
鳩たちが泣きはじめる嵐の名残りの風のように。
ぼくは死にながら、少女たちが生きている姿を見たい。
少女たちに来るように言ってください、そして少女たちの大きな帽子が、
その日よけ帽が、杏の果肉よりもっとなめらかで
もっと甘いぼくたちのくちづけの上でふるえますように。

杏の果肉よりもっとなめらかでもっと甘いぼくたちのくちづけって…ジャムおじさん!

さて。
そんな尾崎喜八です(違)が、どんどん蓼科の山を歩きながらすてきな言葉を吐き続けます。常に例の「君」が出続けます。

丘の上の見晴しで、何本かの背の高いポプラーに囲まれた小学校、すがすがしい光の射し込む朝の室の、卓に置かれたヴァイオリンの函のような小学校。あれが君たちの小学校だったのか。 p.18

「あれが君たちの小学校だったのか」って。知らないよ。とにかくたまらない。小学校についての喩えがすごい、「すがすがしい光の射し込む朝の室の、卓に置かれたヴァイオリンの函のような」ときたよ! 絶句です。

喜八さんはさらに歩き、そしてまた自然を褒め称える。

この天地の大いさは、そのままに見る者の気宇を大ならしめずにはいない。 p.35

すごい一文です。見る者の気宇を大ならしめずにはいない。使っていきたいので暗誦です!

六本木ヒルズの大いさは、そのままに見る者の気宇を大ならしめずにはいない。

文はそのままこう続きます。

 いい朝だ。四本の柱の間へつながれた牝牛から、酉義君が乳を搾っている。牝牛は厭がって綱の長さの許すかぎり歩きまわる。それを追掛けて彼の手が薔薇色の乳房を長く引っ張る。シャッ・シャッと音を立てて乳が走り出る。バケツからは温い乳色の霧が上がる。

美しい描写ですね。シャッ・シャッの中黒がすごい。最後のバケツのところは、なんともいえず、情景が目に浮かんできます。文はそのままこう続きます。

 もう直ぐ太陽が出る。大きな大きな蓼科の上の空が透明な水仙色になる。竜ガ峰のスカイラインに近く、空はわけても上気し、興奮し、何らかの奇蹟が今やまさに行われんとするかの気配を示している。

喜八さんも一緒に上気し興奮している感じがとてもいいですね。

以上、「たてしなの歌」より



「念場ガ原・野辺山ノ原」より

自然描写とそれに対する熱い賛美のうたは相変わらずである。詩人の文章である。!をとにかくつかう。

 雨は十分ばかりで止んだ。眺望が開けて来る。真珠色をして南西から北東へ静かに移りうごく雲の、その切れ間の空の気も遠くなるような美しさ。爪先上りの坦々とした道を、時折のきらびやかな朝日をうけながら行く楽しさ。高原の微風よ!路傍に秋のゴブランをつづる灌木よ、草よ!わけても甲斐の国の山々よ!僕はお前たちにフェリシテをいう。ああ、生きることは何と善いか!この神のいない大本寺、それ自身が神の証しであるところのこの自然の中で、僕は自分に優しかったすべての死者らに感謝し、また僕の敵であった死者たちと和解する・・・・・・ p.49

高原の微風よ!です。僕はお前たちにフェリシテをいう。です。フェリシテ!久しぶりにフランス語辞書を開くと、「[女][文章](宗教的)至福; 喜び、幸福」とあります。ああ、生きることは何と善いか!という言葉を、我々は人生の中で何度吐けるというのでしょう。それはやはり自然に囲まれてこそのものなのでしょうか。甲斐の国は素晴らしいですね。どれぐらい幸せかというと、敵であった死者と和解するぐらいだというのですが、そんなことより、生きている敵と和解したらどうでしょうか。

詩人は詩興を得るために山を歩くのだが、その土地で汗まみれに働く人たちの前に、恥ずかしさも感じるのである。そのシーンは興味深い。彼はここでモーリス・ヴラマンクhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AFを例に挙げる

そのヴラマンクが「画因(モチーヴ)」へ行く。(略)彼ら(引用者注:農夫たち)の中の幾人が投げる親しい「ボンジュール」の挨拶に、画家は立止って会話をする。しかし心の中で、彼はこういう風に労働しない自分をひそかに恥じる。自分の食う麦を自分で作らない己れを恥じる。都合のいい口実は幾らでもあるだろう。だがどんな言葉も自分にとっては結局すべて虚妄に過ぎない。事実は厳として眼前にある。そう思ってヴラマンクは立ち去る。むしろ心に苦痛を満たしてその場を逃れる。
 同じような心の苦さを味わいながら、(略)むしろうつむいて僕は通る。 p.53

この部分に私はとても胸打たれる。現代の貨幣制度、分業制度、資本主義、というものは、やはり理性では分かっていても、身体では納得できないものなのである。しかし、そういいながらもそんなことは忘れて私は都会で遊興に耽っている。山中で恥じるヴラマンクに、恥じる尾崎喜八に、ひそかに私は恥じる。このなんともいえない気持ちを、私は持ち続けていたい。「自分の食う麦を自分で作らない己れを恥じる。都合のいい口実は幾らでもあるあろう。だがどんな言葉も自分にとっては結局すべて虚妄に過ぎない。」 虚妄!

尾崎喜八は山を音楽に喩えることの多い人である。のちにこれが若き宇野功芳http://shop.gakken.co.jp/shop/order/k_ok/bookdisp.asp?isbn=4054017711を惹き付け、彼の音楽評論に山の喩えを逆に持ち込むことになる(ブルックナーの交響曲第八番の終楽章において「巨大なアルプスが堂々と全容を現すのである」等)。宇野功芳の文章についてはまたいつか取り上げてみたい。ここでは尾崎に戻る。

念場ガ原の寂寞の秋を、行く先急ぐ人々にとって、これは余りに堪え難い単調さだろう。しかし空間と大地との囁きに耳をすまし、地の大いなる傾斜を喜び、瞥見の一様の中に千百の細部を認めて其処にひろがる火山高原独特の詩趣を味い得るような、心にも時間にも余裕のある人々にとっては、これは最早単調の道ではなく、無限のハアモニーを展開する一つの音楽的自然ともなるであろう。僕としていえば、これらの小さい輻射谷に緯糸(よこいと)を渡すいくつかの土橋を、そのあたりの静穏な明るさを、忘れられた幸福の巣ともいうべき水と日光との片隅を、あたかも音楽におけるリフレインのように楽しみ愛したのである。 p.58

単調、ハアモニー、リフレイン。


+

「花崗岩の国のイマージュ」より

そして山といえばなによりも、美しい少女である。例えば村上春樹「ノルウェイの森」の、山の上の牧場の「京都弁」の女の子は明らかに萌えキャラである。都会の情報に汚されない、素朴できよらかな娘というのが山には存在するのであり、また存在すべきなのである。

朝である。

 私は顔を洗いに行く。
 母屋のはずれ、路に沿って石垣を積んだところに、山から引いた水が音を立てて落ちている。清冽な、手も切れるように冷めたい水だ。その水をうける古い樽の中には、今朝私たちの膳に供えるつもりだろうか、一束の蕨が漬けてある。澄みきった水の底で、その色が美しかった。
 顔を洗っているとこの家の娘が水を汲みに来た。私を見て丁寧に挨拶する。客に対する女らしいたしなみか、汚点も皺もない白い割烹着を着ている。目鼻だちのすぐれて整った、凛とした十六、七の娘である。 p.91

でました。十六、七ですよ、奥さん!おいしいですよ!まだ続きます。

話しかけられて笑うと、きれいに並んだ歯並が率直に光る。都をとおい山育ちの処女の純潔と、妙齢の特権である健やかな美とが、六月の朝を淙々と落ちる山清水のかたわら、聳え立つ高峻金峰の下で、一篇の詩、一幅の絵の好箇の主題となっている。

たまりませんね、奥さん!都をとおい山育ちにしかない処女の純潔でござるよ。妙齢の特権である健やかな美でござるよ。5分ぐらい妄想できる素材です。さて、それは一篇の詩、一幅の絵の好箇の主題、などと、「草枕」の主人公みたいなことを言っています。続き。

 「お昼頃にはあすこへ立って手を振りますよ」と私がいえば、娘はちょっと山頂を見てほほえんだ。


  人は美なりとはやせども、
  わが美わしきを我は知らず、
  自然のごとく我はただ在り。


 幼い、犯しがたい貞潔が、そう答えているように私には思われた。

勢い余って、喜八さん、ついに詩を書いちゃいました。すばらしいですね。こういう女性こそ私の理想でございます(ロリコンとかいうな)。これはまた、高村光太郎における智恵子と同じような、現代ではほとんどうしなわれてしまったきよらかさなのではないでしょうか。


+

「高原にて」より


さすがアンダンテ・マエストーゾの碓氷峠の登りも終る。 p.189

アンダンテ・マエストーゾの峠である。ううむ。これも暗誦ですね。 
さて。音楽は続く。

 八風山の低いのを笑ってはいけない。あれでもあの獅子岩を、風速二十メートルという烈風の日に一人で攀じ登った時、僕はベートーフェンの「第五」のフィナーレを夢中になって歌っていたものだ。きっと、自分自身を激励するためだったろう。

激しくやられました。激しく、やられました。こういう人が戦前にはきちんと存在したのだなあ…。わが祖母も戦時中苦しいときにはベートーヴェンを思い出して耐えたと言う。フルトヴェングラーが亡命しなかったのはナチスを善しとしたわけではない、ただただ国民を励ますためにベートーヴェンを指揮したのである。だからこそ戦中時代のフルトヴェングラーの演奏こそが、史上最高のベートーヴェンの演奏であると丸山眞男なんかは言っているのである。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4166600249/qid%3D1130181047/249-0077908-7493132

さて我らが喜八さんは目的地、追分に着いた。その文章はまるでベートーヴェンのような足取りを感じさせる。私たちも思わず熱くなってはしまわないか。

 さあ、その追分にいよいよ着いた。忘れ物はないか。汽車が出てしまってから線路をわたるのだ。
 プラットフォームの熱い砂利よ、ダリアの花よ!わけても弥陀ガ城の濃い陰影を真正面に見せた厖大な浅間よ!私たちは今年も来た。お前の裾野の郭公の歌と、お前の涼しい夕菅の花とで、静かに私たちを包んでしまってくれ!

「静かに私たちを包んでしまってくれ!」 たまらん、たまらんですね。なにより、「わけても」がたまらないです。これから使っていきたい単語ですね。暗誦です。

Aよ、Bよ!わけてもCよ!

そして、「静かに私たちを包んでしまってくれ!」です。




「山への断片」より

喜八さん、登山家たちと登山映画を観ている。すると、右のほうから声がする。

 「なんだ、彼奴あ素人だぜ。地図の縁が切ってねえや!」
 私はその声の主を見た。若い学生だった。ああ、私。私もまた多くの「くろうと」のように自分の地図の縁を切っていた。特に切断しなければならない必要をも感じないのに。しかしこの学生の軽蔑の一語を聞いて以来、私は喜んで元来の素人に立ちかえり、断じて地図の四辺を切ることをやめた。 p.225

なんつーか、頑固な人である。天邪鬼とも言う。思い出したのが、野球のグローブの持ち方で、プロの選手はグローブから中指を出したりするのだが、「あれはよくない、あれはプロ選手の悪い癖だ、あれはまねしちゃいけません」と長嶋茂雄が子供のための野球の本で一生懸命語っていたのを思い出した。僕はその本で野球のやり方を学んだので、勝手にいわば長嶋茂雄の弟子のつもりなのであった。しかし、長嶋自身が実はグローブから中指を出すのが癖だったとは、知るよしもなかったのである。まあ、私は根っからの阪神ファンだったんだけどね。僕の神は代打の金森選手でした!

さて、頑固な喜八さんですが、このあとの展開がちょっと泣けるのです。こんどはまた別の映画の会に喜八さんは行ったのです。「春の守門(すもん)岳」という映画だったのです。そして、そのときまた、喜八さんの後ろで声がします。

 「あ、モリカドダケ!あすこへは僕もちょいちょい出掛けますよ。雪質が馬鹿にいいんです」
 「あら、あすこもご存知なの。羨ましいわ。今度はご一緒にね」
 会が了って人々が一度に席を立ちはじめた時、私はこのモリカドダケの人を見た。クロワゼエの外套を長めに着た瀟洒な大学生だった。美しい令嬢風のその連れは、彼らの会話の様子からすると、あるいは許婚の相手であったかも知れない。私はこの若い二人の未来の心の幸せのために、知らざるを知らずとする徳を、勇気を、心中ひそかに勧奨せざるを得なかった。

知ったかぶりの「彼奴あ素人だぜ」野郎には厳しかった喜八さんですが、この瀟洒な若者たちには温かい視線を送っています。名前なんて実際どうだっていいんです。揚げ足を取って喜ぶ例の野郎なんかより、ずっとこっちのほうが愛にあふれている会話なのですから。それにしてもまあなんとこの許婚たちの美しく書かれていることでしょう。独り者としては心中ひそかに嫉妬せざるを得ません。




「子供と山と」より


 突然子供が叫ぶ、七歳のコントラルトで、
 「モンターニュ!モンターニュ!おとうちゃん。見える、見える!」
 (私は彼女のフランス語をそのまま此処に書くことを諸君に許して頂きたい。彼女は幼稚園でフランス語を習っている。それを忘れさせたくないので自宅でもなるべく日常この外国語を言わせている。彼女の語学の習得が、未来における彼女自身の運命の開拓に役立つことを。やがて親である私たちはこの世からいなくなるのである。彼女は独力で食いかつ学ばねばならない。それで私はこの子供のフランス語が、諸君に決して厭味のようにとられないことを祈る)

コントラルト、という言葉をこういう文脈で見るのもまた喜八さんならではである。その声が、モンターニュ!と言っている姿は親にとってはたまらなくかわいかったのだろう。そのあとの長い長い言い訳が僕はとても好きだ。




「山と音楽」より

さいごに、そのものずばり、尾崎喜八が山と音楽の類似・関連についてつづった散文を取り上げたい。

音楽が人に巻き起こす連想は人によって違う、スキー好きには、ベートーフェンのエロイカのスケルツォーが滑降の壮快さに思えるらしい、だが違うものを見る人もいるだろう。ラヴェルを聴いた婦人が「この音楽は私に一つの画因(モチーフ)を暗示する」といってひどく興奮していたらしい。その人はデザイナーだったので、そのラヴェルがどのような図案になったのか、とても気になるところだ、という。このように、例はいろいろあるが、音楽が想起させるイメージは人の職業や生活や関心事によって違いがあるのは当然である。そこで、山と音楽という題を与えられた喜八さんは、私の経験にもとづいてしか語れないのだ、と前置きをしてからこう言う。

 一体、山を歩いていて音楽を想うというよりも、私の場合だと、音楽を聞きながら山地の自然や生活を聯想するというときのほうが遥かに多い。

そして、「魔弾の射手」は山地そのもののヴィジョンを私に与える、だとか、シューベルトのリートは何ということなしに山を想わせる、といい、

いつも彼シューベルトの音楽の底を流れているあの響き、それこそ最もしばしば真の登山家の独(ひとり)の心に触れて来るもののように私には思われる。

そうなのか。次にシューマンが出てくるのですが、シューマンは山っぽくないらしい。でもいいのだという。シューマンは室内楽的であって自然の要素が少ない、という。次に称揚するのがフーゴー・ヴォルフである。

 そして、ああ、フーゴー・ヴォルフの歌!アイヒェンドルフの詩による、就中(なかんずく)メーリケの詩によるその歌曲集。もしもヒマラヤ探検隊の一人の持物の中に、この一冊が見出されたとしたならば、それが彼らの行動のヒロイズムにそもそもどんな床しさを加え得ただろう!

あとは、ジークフリートは山だとか、ソルヴェイグの歌も山だとか、スメタナの「ヴルタヴァ」(モルダウ)も山だとか言ってる。喜八さん、ヴルタヴァには感動したらしく、ものすごい文章を書いている。

堂々と自然を主題としたこの美しい音楽を聞いているうちに、どんな音楽にも平気でいる常習の音楽会聴衆というものが、実に浅薄な、それでいて坊主のように冷酷で偽善的な救われないものに見えて来て、危うく二階桟敷から「馬鹿!」と怒鳴るところだった。

そんなことされたらたまりません!なるほど、この著者の読者から宇野功芳も生まれるわな、と納得した一瞬でした。この文章にはさすがの功芳先生もたじたじと言えよう。地味ながら「坊主のように」の喩えもすごいです。まだ続きます。

私はまだ若かった。若さの故の一本気を持っていた。

ちょっと反省しています。続きます。

そしてその翌日急に思い立って、ルックサックを引担いで山へ行かずにはいられなかったのも、今からすれば微笑ましい思い出である。

音楽の力ってすごいですね!
あとはアルルの女を聴いて南仏の山地をおもうとか、スカルラッチ(いやな表記だ)の音楽には希臘・羅馬風の典雅を感じ、地中海の丘陵地帯だ、とかいったあとで、いままでなぜか出てこなかった大物がやっと出てくるのである。

 しかし何といっても気分や情緒に訴えてくる音楽でなしに(もちろん今まであげたものがそれだけのものだとは決しておもわないが)、作品自体の持った巨大な性格、雄渾な音の支配とリトムの駆使、壮麗で魁偉で宇宙的な構成などの点から見て、バッハ、ヘンデル、モーツァルト、ベートーフェンの四人の音楽ほど大山岳とか、海洋とか、更にまた星辰天とかいうようなものを想わせる圧倒的な、本源的な、霊的な音楽はない。それはむしろ造山、造大陸、造大洋などの造構運動(テクトゲネーゼ)の観念に結びつければつけられるのだが、そんなことをしてみたところで別に何の説明にもならない。しかし彼らは、たとえば音楽的宇宙における、それぞれの銀河系である。

音楽をこれだけいろんな言葉で説明しようとするとはがんばったなあ喜八さん、というか、日本語ってすごい!という単純バカな感想をもって筆を措きます。


散文(批評随筆小説等) 尾崎喜八「山の絵本」を読む Copyright 渡邉建志 2005-11-03 03:34:42
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