小詩集「書置き」(九十一〜一〇〇)
たもつ



部屋に突然インドがやって来て
勝手にインダス川を氾濫させるものだから
部屋は水浸しになるし
大切にとって置いたものも
すべて流されてしまった
これは何の冗談だ、と
食って掛かってはみるものの
インドは冗談の通じるような顔つきではなく
どこが顔なのかもわからないまま
忽ちガンジス川までも氾濫させた

+

空から降りてきたつり革に
僕はつかまっている
どこか遠くの国では
つり革につかまりたくても
つかまれない人がたくさんいるのに
これはいったい何の手続きなんだろう
走馬灯のようによみがえるのは
雨戸の開け閉めとか
芯の取替えとか
そんなことばかりなので
まだつかまってる

+

穴の開いた公務員が
左手をその穴に通しながら
僕の書置きを右手で審査している
窓口、とは名ばかりの
窓の無い唇から溢れる言葉は
どれもこれも優しいが
何一つとして救いではないし
とどめでもなかった
手続きは粛々と進み
すべてが終わると
入口と書かれた扉から
僕は外に出されてしまう

+

手足が不自由になって
それから
リモコンも家出をした
隣の部屋では
協会長と事務局長が
言い争ってるのが聞こえる
窓辺ではいつまでも
ホースが絡みついている

+

気がつけば
鳥かごの中には鳥がいる
けれど気がつかないので
いつまでたっても鳥はいない
何故こんな仕打ちをしてきたのだろう
そろそろ気がついても
良いころかもしれない
そう思うと
鳥かごの中には自分がいる

+

朝から君の背中が
海になってる
掻いてあげると
さざ波が立って
指先が塩味の濡れ方をする
肩甲骨のあたりには
美しい砂浜が広がり
僕が僕の形をしたまま
打ち上げられているのがわかる
気持ちいい?
我ながら馬鹿なことを訊いたと思ったが
気持ちいい
と君は僕の知っている言葉で言った

+

人が書置きをしているとき
僕は眠っている
僕が書置きをし始めると
人はどこに行ってしまうのだろう
外に向かって
私は開かれた窓だが
空の答えをまだ知らない

+

この

呆気も無く
転がっていて
うなじのいやらしい
馬鹿と野郎が


備品なのか
消耗品なのか
さんざん問いただしている
うちに
すっかり
最初から何もないような
シネマを沢山見た後で
刺だらけのサボテンを
君はポケットにしまった

+

公共の宿だった
山間の道をバスで三時間
紅葉の坂道を上ってきたはずなのに
仲居さんの着物の裾は
海岸でセイウチを洗ったかのように濡れていた
もちろんそれはレトリックの話で
仲居さんが本当にセイウチを洗ったのか
僕は知らないし
多分仲居さんも知らない
夜、部屋の電気をすべて落とすと
他に瞑るものが無いので
眼だけを瞑って寝た
笑わないで欲しい
このまま死んじゃうのかもしれない
と思った僕の弱さを

+

もっと優しく
あなたを発音したい
あなたは僕の書置き
僕のすべてを記憶する
唯一の証人
あなたが夕食の支度をしている間
僕は風呂の掃除をする
誰もいないリビングのテレビから
刑事になりきった役者の
罵声が聞こえてくる
そのような優しさで
あなたをもっと発音したい
二人で今日も
たくさん生きてしまった






自由詩 小詩集「書置き」(九十一〜一〇〇) Copyright たもつ 2005-10-31 19:30:40
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