明日のアタシはどんな色
たにがわR

「まいやふ〜って曲があるじゃない? 」
「まいやひ〜だろ」
「違うのよ、まいやふ〜まいやひ〜まいやほ〜……」
「どうだっていいけど、それがどうしたの?」
「ん、なんかね。まいやふ〜っていいなと思って。曲の名前が『菩提樹の下の恋』って言うらしいんだけど、曲を聴く度にいつも思うの。そうね、天気はもちろん晴れで、菩提樹の下に私が座っていて、文字通りの木漏れ日を浴びながらリブレットを開いているの。で、検索しているのよ」
「Yahoo!で?」
「ううん。マイヤフーよ。私のなかのことを、私のために検索してくれるのよ。私が知っているはずなのに、私が忘れていることをそれでいつでも思いだせることができるの。それで菩提樹の下で、あなたの名前ばかりを検索かけていると思うわ」
「なんで、俺の名前を? 嬉しいけど」
「やっぱりあなたを好きな理由が分からないのよ。結婚してから5年たってもね」
ハイハイ……そこで言葉に詰まって、気持ちの中で返事をする。
また始まった……
アザレの空想には、突拍子がない。結婚をしてから3年にもなるが未だに慣れない。始まると止まらずどこまでも進んでいくので、途中で相槌を打たなくなるのが得策だと、結婚前の交際時からおぼえてしまった。彼女も、いつしかそういうルールみたいなものを理解しているようで、こちらが無言になると、彼女の空想は収縮する。
 空想といっても、女の子らしいメルヘンチックみたいなものだけでなく、わりとリアルな現実のようなものもある。
 上野公園でデートしていたときに、屋台の焼そば屋のお釣りをきっかけで、単価計算と時間計算をして、屋台の焼きそば屋のチェーン展開について話し始めた時がある。どっかで飛躍的な発展を遂げて、最後は焼そばを火星で食べるという話になっていた。ボートに乗って、美術館を歩いて、電車に乗って、アパートに帰って、ご飯を食べて、寝るときまで、その話は続いた。火星からのくだりは、僕のほうが疲れて眠ってしまったので、あまり覚えていない。
 僕の無言に気づいてか、アザレの言葉も止まる。一呼吸をおくアザレ。
「日記を書いて寝るわ」
「はいよ。俺、少し仕事が残っているから、先に寝ててよ」
「ん、わかった」
 おもむろにアザレは、体を半分回転させて、後ろにある棚に手を伸ばす。少し危ういバランスになりながらやっと届いた手には束になってビニールに包まれた折り紙があった。パッととりだして、パラパラパラとめくり、何かを見つけたように一枚を抜く。オレンジの色紙だ。
「今日はこんな感じかな」
そして、すぐに紙を折り始めた。補助的な折をいれずに、スッスッと折っていく。ものの一分ぐらいで、色紙は、鶴に折り変わった。
 そして羽根に日付をいれる。紐に通す。この一連の作業が彼女にとっての日記なのらしい。
 文字で書くよりも、折り紙の鶴のほうがその日のことを良くあらわしているのだそうだ。調子の良いときには明るい色で、折り目もきれいな鶴ができるし、悪いときには、暗めの色になる。
 もう何も考えたくないなんてときには、真っ白な紙で鶴が折られて、折り目もまっすぐとはなっていない。
 彼女によると、大切なのはその形ではなくて、その折っているときの気持ちが指の感触で覚えていることだそうだ。すぐに思いだすことができる補助的な役割を折り紙の鶴が果たしている。だから別に鶴でなくても、折り紙じゃなくてもいい。きっとリリアンでもいいのだろう。
 アザレにリリアンを話したら、「?」とおでこに浮かぶような表情をされたが…… 
 まったく認識されなかった。
 六歳だけの年の差は、そういうことでも感じる。
 ダイニングにある少し大きめなカラーボックスには、この十年ずっと折られていた鶴がある。羽根には小さく日付が書かれていて、きちんと時系列にならんでいる。白色が何日も続いていたり、もう鶴とはいえない崩れた形のものが突然出てきたり、確かにその鶴たちは、本人ではない僕にとっても何かを語っている。
 もはや折ることをあきらめている鶴もあって、「これは? 」と聞いたことがある。
 そうするとアザレは、立て板に水を流すように、さらにまくしたてて話し始めた。
 
 そうか、その日か、と。
 
 僕は一度だけしてしまった浮気を思い出した。それは「折りたくない日」だったのだ。アザレの気持ちを代弁してる紫の紙。それ以来、あまり折り紙の意味を聞かなくなったが、長い付き合いでなんとなくその色で、その形だと、そういう感じかな、と彼女の気持ちがわかるようにもなっている。
 鶴を棚に片付けて、アザレがイスから飛び降りるように立ち上がった。
「じゃ、明日の朝ごはんはどうする?」
「明日、金曜日なんで、ちょっと会議が立て込んでいるんだ。土日をしっかり休みたいって会社でありがたいけど。だからはやく出なきゃいけないんで、俺はいいや。」
「仕事もしないといけないしね」
「あ、仕事か……」
「今、言ったばっかりじゃない」
ほんの数分で、早く寝てしまいたい気持ちのほうが強くなっていた。彼女はそんな気持ちを見透かしているようだ。
「やっぱり残っている仕事は明日の朝にやろうかな……だから、いつもより早く行くし、ご飯はいいよ」
「そう、明日やれることはやっぱり明日に回しちゃうのね」
アザレが少し笑う。今日出来ることは今日やった方が良いよとよく言われているのだが、いつもやろうという直前で日和ってしまう。彼女は今日やるべきことを今日やってしまうタイプだ。一息おいて、アザレはゆっくりと言葉を続ける。
「おやすみなさい」
「おやすみ」 
 タン、タン、タン…スリッパの音を鳴らしながらアザレは寝室のある二階にあがっていく。彼女の言葉を気にしながら、カバンから少し出ているノートパソコンを見た。そして、視線を外してシャワールームに向かった……。

 ▼▼▼

 その日は突然訪れた。
 秋が深くなろうとしていた時だ。駅前を歩く人にもコートを着る人がちらりほらりと現れている
 毎年、夏が終わるとすぐに年末が来るので、その時間の早さには少しだまされているような気がしていた。
 クールビズの影響でノーネクタイの印象が強い官房長官が、政府発表と銘打って、「実は一ヶ月時間を進めていました、今日は10月ですが、今から9月に戻します」と話すのではないか、と本気で思ってしまう時もある。
 その辺はアザレからの受け売りの部分もあって、アザレの空想はさらにタイムマシンの作成のために、時間を貯める銀行みたいなものがあるんだという主張に飛躍していた。
 いつものごとく終わりはあまり覚えていないが、確か貯めた時間で小さい頃に亡くなったお母さんに会いに行くんだみたいな話になっていた気がする。そんなSFチックなことはアザレの空想の中でしか起こらないよ、なんてそう思っていた……

 まさか本当に起こるとは。

 最初にニュースの速報で見たときは、たわいの無いジョークだと思っていた。しかし発表からの時間の経過にともなって、事態の大きさがわかってくる。会う人、会う人が深刻な顔となって、「どうしよう」という言葉を代弁するかのような口調で、話してきた。

 今日は今日のはずなのに、すでに明日なのだそうだ。
 話は少し複雑だ。

 政府発表によると、地球の公転というは、一年、365日で一回転するのではなく、365.2422日ぐらいかかるらし。その端数をあわせて、四年に一度うるう年を設定しているのだが、さらにそれでも端数が出る。その端数はうるう秒という概念で、何年かに一度、時間をずらすことによって、調整をしていたのだが、そのうるう秒の調整が、管理を任されている学者の勘違いで、ちょっとずつ使いすぎてしまって、マイナスになってしまった。
 それが既に24時間あるのだそうだ。しょうがないからどこかで一日をずらさないといけない。何年先の予定も決まっている人もいる御時勢、来月ずらすのも、今月ずらすのも変わらない、と言うか計画をしっかりたてて時間を掛けながらずらしたほうが、国民は混乱するからと、もう今日を明日にしますと閣議と国会で決定してしまった。
 日本を軸にして、24日かけて、標準時間の時間軸の順に他の国も一日ずつずらしていく。こんなときに世界の一番東の国に住んでいることを実感する。
 とにかく今日は終わって明日になってしまった。明日なので、もう土曜日だ。会社から帰れと言われてしまった。帰る途中の電車は、やはりラッシュになっていてみんな素直に帰っているみたいだった。休みになってラッキーと言うよりも、困っているような、それでいてほっとしてるような複雑な表情を皆がしている。

 マンションに帰ると、アザレも仕事から既に帰っていた。食卓の上に折り紙を一枚おいて、椅子の上にひざを抱えて体育座りで座っている。
「そっちも会社終わったのか? 」
「ん……終わったというかね、もう明日なんだから別に終わったんじゃないのよ」
「そうだね」
そうして、アザレはまた無言になって、折り紙をみつめている。
「どうしたの?」
「ん……どうしようかなって思って」
「何を? 」
「色がね、決まらないのよ」
ああ、とその瞬間に気づく。日記代わりに折っている鶴の色をどうしようかと思っているんだ、と。確かに決められない。今日はすでに終わっているんだから。
「折らなきゃ、まずいの?」
「あたりまえじゃない、日記なのよ」
その理屈に、なんとなく納得する。
「明日の分も折らなきゃいけないのに、今日の分で今日が終わっちゃいそうだわ。あーもう、考えているだけでまぎらわしい。隣の田中さんは、さっさと旅行にいっちゃったわよ」
「みたいだね、鈴木さんは運動会なんだって」
 色が決まるまでは、折り始めないんだろうな、時間がかかるかな、と思っていたら、パッとアザレは折りだした。
「何見てんのよ。ご飯作ってよ。もう明日なんだからあなたが当番よ」
「ああ、そうか。けど今日は出前でも取らない? 」
「あなたのおごりよ。けど土曜日だったら、時間がかかるかもね」
「まあ、いいだろ。で、結局、白?」
「うん、あきらめの色よ。今日の私には似合っているわ」
そうして鶴が折られていく。淀みの無い折り方は、アザレの細い指とあいまってちょっとした果敢なさを感じる。もう十年も折っていると指が覚えているというより、体がそれを作るように出来上がっているらしい。それでも出来不出来はあるのだから面白い。
「こんなもんね」
これで終わり!と言うかのように勢いをつけながらアザレは今日の日付をいれている。ピシッとしたきれいな鶴だった。
「明日はどうしようかなぁ」
アザレは一度、足を伸ばしてから、もう一度、足を抱える。そして会社から帰ってきたばかりでスーツ姿の僕を横目で見た。
「着替えたら?」
「ああそうだね」
 僕は、ネクタイを外しながら湯沸かし器のスイッチを入れてシャワールームに向かった。

 結局、何色になるのかな。
 シャワーをあびながらアザレが何色を決めるのか考えていた。好きな青色になるのかもしれない。けど結局明日なんてわかんないんだから妥協する色になるかもしれない。妥協の色に青色は使わないだろう。
 アザレという愛称は、好きな青色を意味するイタリア語、アズールから捩って、十代のころから友達などには呼ばれているらしい。高校時代にやっていた女子バスケット部に、同じタナベもエリも居たから、一日、考えてアザレになったんだそうだ。最初はそのままアズールだったかな。なんか試合になると、アズールの語尾が短くなって、ア行しか発声できなくなるからアザレになったという話も聞いた気がする。
 まず、何よりも自分を呼ばれる愛称が必要だというのがチームスポーツの第一歩ということにそのときは感心した。出会ったときは、大学のコンパで、同じ女子バスケの友達からアザレって呼ばれるのが何故か気になったんだっけ。
 外国人なのかなと……。
 アザレの悪い癖がうつったのかどんどん過去に空想が広がっていく。そして急に戻る。やっぱり出前は、トンカツにしようか。アザレは、いつものミックスフライでいいかな。納得するだろうか。シャワールームから戻ると、アザレは同じ姿勢で、椅子の上に体育座りしていた。食卓の上には、赤と青の色紙が一枚ずつ。
「さっきの出前さ」
「ん……」
「ミックスフライでいい?」
「ん……いいよ」
「わかった。電話してくるよ」
バスタオルで頭を拭きながら、出前を取るためにチラシを探す。確かこの前にポストに入っていたダイレクトメールは……

「はい、トンカツ定食と、ミックスフライ定食を。味噌汁はどちらも赤だしでおねがいします。はいはい、ええ、住所はさいたま市の……」
 濡れた髪を受話器につかないように蕎麦屋さんに電話をする。定食もやっている近所のお店だ。横で、アザレは微動だにせず、色紙を見つめている。いつもは味噌汁の味噌の色にこだわって、いろいろ言うのに今日はそんなことを気にしてもいないようだ。
カシャン、受話器を置く音にもまったく反応をしない。
「どう? 決めたの? 」
あまりにも動かないアザレに対して、生存確認の意味も含めて声を掛ける。
「ん……どっちかなとは思うのよ。赤か青ね。けど無い明日の色なんてやっぱ無いのよ。裸の王様じゃないけど、見えない色があったらなとは思うわ。そうしたら明日の私の望みの九割は達成できるのよ」
「普段、ほとんど使わない色とかでも良いんじゃないか。金とか銀とかビリジアンとか」
「私の生き方に、金とか銀とか晴れやかな色が大切ってことは無いのよ。別に今日や明日が大切ってことは無いけどね、もちろん緑か緑じゃないかわかんないビリジアンってのも無いのよ」
「もう白は、今日で使ったしな」
「明日に対して、あきらめることはできないじゃない。ただ黒みたいな先が無いっていうか、力が吸われるような色も使いたくないの。だって明日なのよ?もっと華やかなじゃなくても、綺麗な色をつかいたいじゃない」
「なんだか、面倒だな」
「そうね、明日やれることは明日やれば良いって考えのあなたには面倒なことかもね。今日やれることは今日やってしまいたい私にとっては別に面倒なことでもなんでもないわ」
 アザレがちょっと突っかかるような口調であたる。良く分からない現象に巻き込まれて、事象を理解して前に進もうというアザレにとっては、かなりストレスを感じているみたいだ。別に俺だって、全部を明日に回しているわけじゃない、と反論をしたかったが、色紙の前でまったく動かないアザレを見ながら言葉を出せなかった。
「黄色でもないのよ。三原色の中で一番嫌いな色だわ。黄色とか緑とかは自己主張が無いようで、いろんなことを主張しているのよ。私って良い人でしょみたいな、偽善の色だわ」
黙っている僕を気にせず、アザレが一気に話し始めた。
「オレンジみたいなあったかい色とか、ピンクみたいな『私は、おんなのこーです』みたいな色とか、水色みたいにさわやかだとか、そういう主張している色が嫌なのよ。赤と青だけが、主張しているようで何も主張していないのよ。だから良いの。明日の私は何も主張していない私で居なきゃいけないのよ。自然とね」
アザレの目から涙が一滴降りる。語尾が少しぐずりはじめた。
「ふぅぅぅ」
アザレは息を吐いて、そして赤い色紙を手にとって、鶴を折り始める。
「青はアタシすぎるわ」
そう呟いて、いつもよりも丁寧に、ゆっくりとした手つきでしっかりと鶴を折っていく。なんだかそれは、色紙に対して、その向こうにある何かに対して申し訳ないと感じているような折り方だった。ピッと最後に首を折り、羽に明日の日付を書いた。そうして白い鶴の次に紐にくくられる赤い鶴。綺麗に折り目がついた白と赤。
「うん、良いんじゃない? 」
アザレの涙はもう止まっていて、表情が柔らかくなる。
「そうだね」
ピンポーン、ドアのチャイムが鳴った。
「おまたせしました〜藪蕎麦でぇっす」
出前が届いたようだ。玄関まで取りに行ってお金をはらう。オカモチを運んで食卓に置き、僕とアザレの分を出す。
「あれ?何でお味噌汁、赤だしなの?今日は白の気分だったのに」
「え?」
「あきらめの気分よ」
アザレがちょっと笑って、明日の晩餐が始まった。


散文(批評随筆小説等) 明日のアタシはどんな色 Copyright たにがわR 2005-10-25 14:37:12
notebook Home 戻る