喪失の記
木葉 揺

 バケツに頭を突っ込んで、水の中の微生物
を見ていた。はがれそうなコンタクト。ギリ
ギリのところで私は目を閉じる。
あれ?今、確かにイカダモが!

ザバアッ!

顔を上げた勢いで、バケツの淵を掴んでいた
両手に妙な力がかかり、バケツは引っ繰り返
った。

西陽が目の前できらめいていた。幼い頃のガ
ラス球ネックレスを暖簾の様に分けると小さ
な庭だ。しりもちをついた目の前、プラスチ
ックの青バケツが転がる。
微生物はぜんぶ流れてしまったのだろうか。

考えてみれば、誰が微生物を飼えと言ったの
か?「水を入れてもいいよ」と、あの日の雑
貨屋の棚で目が合った青バケツは言っていた。
「そうか」
会計を済ませて走って帰り、庭の蛇口をひね
りたっぷり水をはっていたのだった。

数日経った今日、軽やかに空回るミジンコの
足に清涼感を感じてからはこの通り。

もっとミクロに! もっと極小に!

瞬きもせず分け入ってゆく・・・
ミジンコやゾウリムシたちが次第に頬と同じ
大きさになり、ボルボックス、アオミドロが
迫り来て、ついに見えたイカダモ・・・!

「え?何?」

ザバアッ!

「今確か『x』って」

ゴローン、ジャアアアアア・・・

もう放っておいてくれ、と背中を向けたまま
の青バケツと放心状態の私は、つたい来る滴
たちにゆっくりたしなめられている。

とりあえず毎日水を入れ替えればいいのか?
そもそも何のために水を!
私はため息をついて、青バケツの手をとって
助け起こし、小さな花壇の横に落ち着かせた。

「しばらく考えさせて」
そう言って部屋に入るのが精一杯だった。


自由詩 喪失の記 Copyright 木葉 揺 2005-10-01 17:13:59
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