フレージズム/菅井亮氏の詩について
渡邉建志

フレーズ主義者―詩全体ではなく、むしろ詩の中に現れてくるナイスなフレーズを見つけて喜ぶ人―である私にとって、菅井氏やマスイジュウ氏の詩を読むのは非常に楽しく、時に激しく心打たれてしまうのである。


菅井亮氏の詩について


教室の片隅で http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=37408 より

教室は今日も欠席者なく、人でいっぱいだ。ネバ蔵はストレスを感じていた。

ネバ蔵、名前がすごい。ネバネバしてそうでありかつネバーギブアップな雰囲気も兼ね備えている。いや、「蔵」っていうのがすごい。びりびり来る。


爆弾少年の手記 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=37418 より

外へ出ると驚くような青空。それだけでもう、あぁなんとかしてあのベッドから抜け出した甲斐があったなぁ、と少し明るい気分になって僕はバス停へと向かった。わぁ遅刻だ。

わぁ遅刻だ の わぁ がすばらしい。あんまりあわててないかんじ。大丈夫か。意外とのんびりしてないか。とりあえず言ってないか。書けませんよね、すごい。ぱくりたい。わぁ寝坊だ。とかさ。わぁ留年だ。とかさ。わぁリストラ。とかさ。


とらじろう http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=37421 より

「あぁ、退屈だ。いま、あの前のドアを突き破って、愉快なロックバンドが登場し、教壇の上で最高のパフォーマンスを見せてくれたら、どんなに心地いいだろう」

愉快な って言葉がすきだ。授業中に考える言葉で、しかも、ロックバンドを形容する言葉が、「愉快な」っていいよね。「いま、あの前のドアを突き破って、愉快なロックバンドが登場し」、っていう、このリズム。


放課後ラブポエム http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=37572 より

 「・・・詩集?え、それゴン太君が自分で書いたの?」
 「う、うん、そうなんだけど、はは、いやぁ、なんていうか、その、まぁ、そんな感じですね」
 「へぇ、見せてよ、おもしろそう」
 ゴン太は詩集「ピクニックで餓死」をマキに手渡した。
 「ピクニックで餓死?なんか変わったタイトルだね」

題名が「ピクニックで餓死」、そのセンスがすごい。そのひとことに撃たれる。ところで、この詩の締め方はとても素敵です。こんなもん読んでないでとっとと読んでくるがいいです。


テケオは今 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=37777 より

ある日テケオは
「もういい、あきらめてしまえ。そうすれば現実と理想のギャップに苦しむことはない。はは。俺はかしこいぜ。ザマーミヤガレ、すっとこどっこい」

いろいろ諦めた上で勢いづいてテケオが話しまくります。まず 俺はかしこいぜ。語感がすごい。さらに ザマーミヤガレ。ふつうの人ならそれで終わるはずなのです。ところがところがテケオはさらに続けるのです。 すっとこどっこい と。リズムがすごい。タコ踊りみたい。ここを読んだとき、この人はすごいなあとおもった。


ワッペン http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=38619 より

ワッペンはうなだれた。「夏がもうすぐ来るというのになんだかさみしいこの気持ち」
 ワッペンは冬が嫌いであった。

それいいセリフ!ワッペンいいセリフ!「この気持ち」。訴えかけてるけど独り言。その独り言っぷりが可愛いですね。でもたぶんこの詩のすごさは最後であり、(従ってまずこの詩を最後まで読んでからこっちにもどってきてほしいのですが、)












ワッペンが適応できるのは春と秋しかないのだろうか。そしてワッペンは以前アキという名の女の子に惚れていたのだが、それにはそんな因果関係もあるのかも知れないなぁ、と思考し、死んだ。

すごすぎる。死ぬのかよ。

思考し、の前にかなりの長い内容があるわけですね。そして、それだけ長い内容を「思考し」、とくれば、結構な前置きなわけで、次にしかるべき行動が来るはず、なのに、そんだけ前置きして、突然死ぬ。考えすぎて死んだのか、いや、とにかく死んだのか。「思考」という言葉が冴える。「考え、死んだ」というのよりずっとおもしろいんじゃないでしょうか。


コカコーラ http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=38793 より

「あぁ何にも思い浮かばない。もっと言うと何にも思い浮かばないということしか思い浮かばない。ん、とすると、何にも思い浮かばないというのは嘘になり、何にも思い浮かばないということはちゃんと思い浮かんでいるのであって、とすると俺はいま、結局何かを思い浮かべていたことになるのだろうか。ということは何にも思い浮かばないという言葉、観念、それ自体に矛盾があり、その言葉を発した、または頭のなかに思い浮かべたときには結局何かが思い浮かんでいるということになり、とすると俺は今まで何か強力な権力によって騙されていたのだろうか。そう考えると他のあらゆることにもそういった、わぁ」
 しまし太の頭は混乱した。

ここでもやっぱり わぁ がすごい。「しまし太」の混乱っぷり、堪らなく魅力的。わぁ て。可愛すぎる。そして、その可愛さに比べ、常に地の文が冷静である。それが笑える。地の文の冷静さの面白みという点では名作 南国マケスhttp://po-m.com/forum/showdoc.php?did=38620で一番発揮されていて、これが一番好きです。


散文(批評随筆小説等) フレージズム/菅井亮氏の詩について Copyright 渡邉建志 2005-09-20 20:54:42
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