パパの思い出
さくらいちご

私が幼稚園生だった頃、パパは鼻の下に口ひげを生やしていた。
ある日、幼稚園の先生が「パパがひげを生やしている人!」と歌の途中に訊いた。
私にとってひげとはもっともじゃもじゃしたものだったので無反応でいると
「いちごちゃんのパパ、おひげ生えてるでしょう?」と先生に笑われた。
中途半端にひげを生やしているパパが恨めしかった。


私が小学生だった頃、パパは競馬場やパチンコ屋さんに私を連れて行った。
大しておもしろくもなかったのだけど、競馬場へ続く道で売っているイカ焼きと
たくさんパチンコ玉が出た時に交換してもらえる大きな箱のチョコレートが楽しみだった。
でも帰り道のパパはとっても不機嫌なことが多くてそんな時におねだりをすると叱られた。
来る時とは違うイライラ顔のパパが恨めしかった。


私が中学生だった頃、パパは単身赴任で遠くにいた。
毎日決まって夕方6時頃、パパから電話がかかってくる。
きっとその時間なら会社から堂々と電話ができ、そうやって電話代を浮かせていたのだろう。
私が初潮を迎えた日、電話口のパパが「おめでただって?」と言った。
そんなことをわざわざ言うパパが恨めしかった。


私が高校生だった頃、パパは修学旅行へ出発する私を空港まで送ってくれた。
先生には、飛行機の時間に遅れるといけないので絶対に車で来てはいけないと言われていた。
それでもパパは早めに出るから大丈夫と自信満々だった。
案の定の大渋滞に泣きそうな私はホントのホントの滑り込みセーフで空港に着いた。
「ごめんね。」と申し訳なさそうに謝るパパが恨めしかった。


私が大学生だった頃、パパは再び単身赴任で遠くにいた。
夕方の電話はかかってこなかったのか、私がその時間、家にいなかったのか。
女子高育ちの私はその頃初めての恋愛でほとんど病気で、パパのことなど忘れていた。
高いお金を払ってもらった大学は単位を落とすスレスレまで欠席した。
なのに、何も言わず、何も訊かないパパが恨めしかった。


私が社会人になって少し経った頃、パパは離婚した。
離婚届を書く前にパパは「本当にいいんだね。」と訊いた。
家を出る前にパパは「一緒に暮らさないか。」と訊いた。
離婚届を提出する前にパパは「これで本当にバラバラになっちゃうよ。」と言った。
それでも、離婚をやめなかったパパが恨めしかった。




ひげが生えていたパパが大好きだったってこと
日曜日、どこかに一緒に行くだけで嬉しかったってこと
照れ臭いのも恥ずかしがり屋なのも私とパパが似ているからだと思うってこと
旅行から帰って来た時も空港まで迎えに来てくれてありがとうってこと
私の学費でお給料のほとんどを使ってしまってごめんなさいってこと
ホントは離婚しないでって言いたかったってこと

全部言えずに、全部言わずにきた私が恨めしい。




私が社会人になってもう少し経った頃、パパは用事があると呼びつける私に会いに来た。
「無職の男性と一緒に暮らすので引っ越します」と私は言う。
家族みんなに「絶対許しちゃダメだよ」と言われてきていたパパ。
「あんたの気持ちをちゃんと聴かないとと思って」と私の話をひたすら聴いてくれた後、
「もう一緒に旅行とか行けなくなっちゃうのかね。」と寂しそうに言うパパが恨めしかった。




自由詩 パパの思い出 Copyright さくらいちご 2005-09-20 19:21:41
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