プール跡
フユナ

 わたしたちは小学校のプール跡に住んでいた。
 もちろん家に住んでいた。
 プール跡に、家が建ったのだ。

 
 ともすれば思い出したように、夏にはテーブルの上にサトウくんが立った。水泳大会直前に溺れて亡くなったサトウくん。サトウくんの事は昔から知っていた。わたしたちはその小学校の卒業生じゃなかったけれど、そんな話はどこでもあるもの(というのは嘘だ。毎朝家の前を通る小学生がおトイレを借りにきたので、聞いた。でも大概は本人が話してくれた)。水泳大会直前に溺れて亡くなったサトウくん、は実は小石川くんという名前で、わたしたちはこの街に水泳大会(しかも小学生の?)があるなどと聞いたことはないけれど、でもサトウくんは立つ。
 テーブルはおよそプールの真ん中だったらしい。もう泳げる気がしない、とわたしたちが言ったら、僕もだよ泳げる気がしない、とサトウくんも言った。でも泳げたんでしょう、と聞くと、傾げるサトウくんの白い首筋



サトウくんの好きだった女の子はミチコさんと言ったらしい。内気なサトウくんはミチコちゃんと呼ばなかった。でも本当は呼びたかった。わたしたちが夕飯を食べていると、たまにミチコちゃん、が落ちて混じっているから知っている。夏には落ちていない(サトウくんは内気だから)、かすかな、ミチコちゃん、という名前。やさしいのにからからにかわいている、ミチコちゃん、は野菜の中で不思議なアクセントを加える。食べるととても、
ミチコちゃん、はサトウくんと比べて落とし物だ。そこにぽつぽつと落ちていて、話したりしない、もちろん。人の形もしていない。ミチコちゃん、という名前は例えば、コロッケの衣のかすのようなものだ。     やさしいかす



そういえば、サトウくんは海パン姿で立ってる訳じゃない。服を着ている。白いシャツにカーキ色のズボン、汚れてほつれている。胸に名札と血液型、わたちたちは何度も血液型占いをした。これからの運命。頭は丸刈りだ。のばしてみなよ、とわたしは夏の度に言っている。泳げる気がしない。サトウくんはずっとわたしたちに言わなかった。



お盆までの、北の短い夏が終るとサトウくんは次の夏まで出てこない。一晩でふっと消えてしまう。一年中いればいいのに、と言うとサトウくんは笑う、でもサトウくんはずっと私たちに言わなかった。今年ももう少しでサトウくんは消える。明日は、水泳大会があるから。そう言って消える。消えるときも、サトウくんは背中を見せない。テーブルの上の夏野菜のサラダ、風化。サトウくんは言わなかった。サトウくんの事は昔から知っていた。夏には必ず聞いたもの。
 この北の町の最初で最後の火の夜
 (お母さんこんなに血が出たら
 僕はもう駄目です)
もう泳げる気がしない
14日、深夜未明、15日、終戦。
広島だけでも長崎だけでもない
サトウくんは言わなかった。
サトウくんは何も言わない。
やさしく、ミチコちゃん、が降る
サトウくんが立つところ、
プールの真ん中、
テーブルの真ん中、サラダの皿の中に。




 わたしたちは小学校のプール跡に住んでいた。
 もちろん家に住んでいた。プール跡に、家が建ったのだ
 プールがなんの跡に建っていたのか、
 わたしたちは知らない。


 






未詩・独白 プール跡 Copyright フユナ 2005-08-05 02:06:31
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