『詩は求められているか?』
窪ワタル

本題に入る前に、誤解がないように、少し、前置きしておく。

最近、某所の日記に、朗読について考えていることを書いた。日記だから、特定の個人に向けて書いたものではないのだが、やや、感情的と取れる反論があった。原因は分かっている。自分で蒔いた種なので、何を言われても仕方ないし、これ以上反論する気もなければ、種を蒔いたことを謝罪するつもりもない。謝罪したところで、和解できるかどうか覚束ないし、言い方や態度、場所柄などの点で、不適切であったのは間違いないが、自分の発言内容そのものへの確信は何ら揺らいでいないからである。まして、そのことをネットと言う場に持ち込んで議論するのは場違いであるとおもっている。ネットと言う場は、それがいかなる類の議論であれ、妥協点をお互いに見出せない場合、その議論自体、不毛に終ることを、私は知っているからだ。この文章は、その方への反論では決してない。ただ、私見を述べておきたいだけのことである。

例によって、反論、抗議、誹謗・中傷の類は自由であるが、全て無視する旨を予め述べておく。


と、どうでもよい前置きはこのくらいにして、本題に入ろう。
「詩は求められているか?」と問われれば、私は、迷わず「Yes」と答える。なぜなら、詩を取り巻く環境は、大きな流れとして見れば、前進しつつあるからである。

確かに、詩は売れていないようである。一般に、詩集や詩誌を手にしようとすれば、大型書店に行くか、ネット販売に頼るしかない。詩誌については、その他に、定期購読と言う方法があるのみである。詩集の即売を中心にしたイベントなどが、東京、京都などでは行われているが、集まるのは、詩人か、詩に関わっている人々がほとんどで、まだ、とても一般に認知されたイベントとはなっていないのが現状なのである。しかし、そのような中でも、変化は生まれつつある。「ネットでの詩作」の広がりに伴い、詩誌の投稿欄には、一昔前なら考えられなかった、カタカナや、アルファベット表記の名義で作品を発表する、比較的若い詩人の入選が確実に増えている。ネット上で使っているハンドルネームもそのままに、詩誌に進出しているのである。もしかすると、ネットとは別名義で掲載されている詩人もあるかも知れない。更に云えば、昨年の「詩学最優秀新人」の二氏は、共にネットでの詩作から、詩の世界に入られた詩人である。

最近では、「ポエトリーリーディング」(詩の朗読)テレビ放送されている「詩のボクシング」児玉あゆみ氏らがNHKに取り上げられもした「スポークンワーズ」(言葉の異種格闘技)など、詩と言葉を届けようとする試みも、東京を発火点として、ゆっくりとではあるが、各地に広がりつつある。

どれも、一昔前ならば、考えられなかった状況ではなかろうか。これはつまり、まだ、本格的な広がりこそないが、人々が、潜在的には詩を求め、或いは、スタンスの違いこそあるが、自らも表現者として、“表舞台に出てゆこう”という欲求の広がりとして見ることが出来ると、私はおもう。

「スタンスの違い」ということから云えば、例えば“自分はリーディング中心”だとか“現代詩でなくポエムだ”“これからはスポークンワーズだぜ!”だとか云った違いがあるわけだが、そんなことは、それこそ“焼酎が好きかビールが好きか”はたまた“やっぱりワインでなきゃヤダ”“なに言ってんだウイスキーだぜ”というくらいの違いでしかないのである。その程度の違いは、全体の大きな流れから見れば、何ら対立し合うものではない。それどころか、むしろ素晴らしいことではないか!読者や聴者は、常に、自分に合うもの、面白いもの、感動するものを望んでおり、選択肢は多い方がいいのである。そもそも、詩の一番面白い所は「ルールがない」こと「自由である」ということなのだから、表現手法は勿論、詩の表出方法も、ルールは、始めた者が決めればいいのである。

ただ、当然ながら、今挙げたことをもって、詩を巡る状況や、詩人をとり巻く環境が、未だに厳しいと云う現実を、今すぐに変え得るものではない。しかし、こうした変化が、この先に何らかの影響をもたらすことは、ほぼ、間違いであろう。その影響に、私、個人として、大きくはないが、丁度、手のひらに収まるぐらいの希望は持てるとおもっている。そして、最も重要なことは、願ったり、祈ったり、希望を持ったりするだけでは、折角、傾きかけている流れを引き寄せることは出来ないということである。自らを詩人だと自称し、詩の閉塞を憂いている賢明な詩人諸氏ならば、こうした流れに、温かい眼差しを注ぎ、出来るなら、その発展の担い手や、支え手になろうではないか!それが嫌でも、無理でも、せめて、詩のいいお客様にぐらいはなろうではないか! 

と、若干演説調になったので、どうやら、そろそろ筆を置く頃合であるらしい。

最後に、詩の市場性について書こうかとおもったが、それは、また、次に譲るとしよう。


散文(批評随筆小説等) 『詩は求められているか?』 Copyright 窪ワタル 2005-08-04 15:57:04
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