走る羊
岡部淳太郎

夜の野を
羊たちは走る
帰るところなく
羊たちは大群となって
夜の腕の下を疾走する
月の微笑に照らされる夜
野の果ては地平線で切断されている

  人はひとり凍えて横たわる
  夜はつぎの朝のために存在するがゆえに

わけもなく
羊たちは走る
帰るところなく
ただひたすらに群れをなして
直線の夜を静かにひた走る
わけのない世界
わけを必要としない思い
ただひたすらにつき動かされて
足下の草のいのちの声を聞く

  人はひとり疲労の中に横たわる
  訪れるべきものをかすかな恐れとともに待つ

夜だからこそ
羊たちは走る
帰るところなく
羊たちは山を夢に見て
また海を夢に見る
夜の穴から降りてくる絶え間ない直観に従って
足の裏と野の草との間の
快い摩擦感に酔いしれる

  人はひとり動かぬ破片として横たわる
  隣のかけらの行方を少しだけ思い煩いながら

何の感情もなく
羊たちは走る
帰るところなく
ただ走りつづけることがこの夜における使命
走るうちに羊毛はぬけ落ち
それらは地に触れると同時に
新しい小さな羊たちとして生まれ出る
そして彼等もわけのない
羊たちの群走に加わってゆく

  人はひとりたしかな肉として横たわる
  皮膚は壁となり身体のすべてがたどりつくことのない
   果てへと沈んでゆく

夜の中を
それが夜であるがゆえに
羊たちは走る
帰るところなく
走ることこそがただひとつの真実
忘れるために
忘れられるために
群衆として
群衆の中のひとりとして
目立たないひとりとしての事実
泣くわけでもなく
恨むわけでもなく
ただ闇雲に走る
ただそれだけのものとして走る

  人はひとり帰るところなく横たわる
  その果てが明日の岸辺につづくことを信じるがゆえに

わけもなく
羊たちは走る
帰るところなく
羊たちは走る
驕ることのない
ただの激走その果てで
夜の野は夜の道に変り
羊たちはその中に雪崩れこんでゆく
羊の大群を乗せた道
それは一本の細長い紙のように地表からはがれ
羊たちはなおもその上を走る
やがて道の終着点を越えて
羊たちは夜の中空に投げ出される
落ちることなく
羊たちは夜の空を駈け昇る
帰るところなく
羊たちは夜の空を走りながら飛ぶ

  人はひとり完全に横たわる
  ようやく訪れた眠りの中で
  声もない羊たちについての美しい夢を見る



個人サイト「21世紀のモノクローム」より


自由詩 走る羊 Copyright 岡部淳太郎 2005-07-21 12:59:50
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