「 天使と飛んだ夜。 」
PULL.
これは天使の羽の痕なの。
肩の傷跡を指差して、
彼女は笑う。
ここに白くておっきな羽があって、
ばさばさばさぁーって羽ばたいて、飛べたの。
でもね。
とれちゃったの。
あたしドジだから、
転んでけがして、それでとれちゃったの。
だからね。
これは天使の羽がとれた痕なの。
タバコの火が押しつけられた痕だって、
おれも彼女もわかってる。
だから、おれも彼女も笑ってる。
あたし、あなたのこと知ってる。
みんな噂してた、恐い人だって。
何人も何十人もけがさせて泣かせた、恐い人だってみんないってた。
ねぇ。
あなたは、あたしのこと知ってる?。
首を横に振ると、
彼女は嬉しそうに笑った。
そうなんだ。
嬉しい。
知らないんだ、あたしのこと。
嘘つきだね。
あなた。
でも、嘘ついてくれてありがとう。
すっごく優しい嘘だよ。
このまま好きになっちゃいそうなぐらい。
ねえ。
あたしのこと好き?。
うん。
好きだよ。
また嘘!。
ねえねえ。
嘘つきさん。
じゃあ。
あたしにキスしたい?。
してもいいんだよ。
ほら。
ここに。ここに。
キスした。
深いキスの後。
彼女が洩らした溜め息は、その肌と同じぐらい白かった。
知ってた?。
キスの上手い男は、
嘘も上手いんだって。
誰がそういったの?。
あ・た・し。
あたしは、なんでも知ってるの。
だって、あたしは天使だから。
ねえ?。
嘘つきのキス上手さん。
知ってる?。
この間、あそこから人が落ちたの。
あたし見てたんだ。ぜんぶ。ここから。
ひゅんって飛んで、
落ちて壊れたの。
頭から壊れたの。
綺麗だった。
とっても綺麗だったんだよ。
あの人。
白い雪の上に、
赤い薔薇の花弁が散ってるみたいなの。
とっても綺麗だったけど、
とっても綺麗だったから、
あの人は天使じゃないから、
だから飛べなかったの。
だから落ちて壊れたの。
でも、だけど、
あたしは天使だったから。
どうしたの?。
ねえ。
嘘つきさん。
教えて、
ここから飛んだら、また天使になれるかな?。
ここから飛べたら、あたし本当の天使になれるのかな?。
教えて、
あなたは何人殺したの?。
あなたは何人殺せたの?。
あなたは殺してくれる?。
あなたはあたしを殺してくれる?。
あなたはあいつを殺してくれる?。
教えて、
あたしの目を見て、教えて。
嘘でもいいから。
教えて。
おれを見上げる彼女の目は、まるで硝子玉みたいだった。
一緒なら、飛べるの。
あなたと一緒なら、きっと飛べる。
そんな気がするの。
ねえ。
手を握って。
おねがい。
握った手は、蒼く震えていた。
もっと強く抱きしめて、
息が止まるぐらい、もっともっと強く抱きしめていて。
ひとつの繭のように、
彼女を深く抱きしめる。
いこう。
一緒に。
うん。
一緒だね。
ねえ。
恐くないよ。
もう。
あたし。
誰も恐くない。
屋上から見下ろす下界は、
突き抜けるように白かった。
白雪が舞っていた。
白雪が降っていた。
おれたちと一緒に、白雪は舞って降っていた。
そうして、おれたちは落ちたけれど、
壊れなかった。
彼女は肩に軽い擦り傷。
おれは肩を脱臼して、肋骨を三本折った。
不思議だけど。
夕べから降り積もった雪が、
ふわふわと、おれたちを受け止めてくれた。
まるで天使の羽みたいに。
ふわふわと。
ふわふわと。
抱き止めてくれたんだ。
ねえ。
覚えてる?。
おれたち転げ回って、
真っ白になって笑ったね。
痛みも忘れて、
真っ白になるまで笑ったね。
思うんだ。
やっぱり君は飛べたのかもしれない。
あれから肌を交わせて、
そして、いつしか心が離れたけれど。
やっぱり君は天使だったんだ。
あの季節とは違う、
湿った風が、愛しい噂を届けてくれた。
天使は今、海の向こうにいる。
そして人生を歩んでいる。
パートナーの女性と、一緒に。
おれが天使と飛んだのは、あの夜だけだ。