詩人ですもの
佐々宝砂

子どものころの私にはロールモデルがなかった。こうなりたい、という目標がぜんぜんなかった。高校生になってからは国語教師(女)に憧れたり、パティ・スミスになりたいなーと思ったりしたこともあったけれど、現実味がぜんぜんなかった。女のくせに極度のマザコンで母親のことが大好きだったのに、自分の母みたいになりたいとも思わなかった。

そんなんでアイデンティティーとゆーやつをどうやって確立してきたのか、自分でもよくわからない。よくわからないけど不自由はしていない。と思ってきたが、やっぱり目標があるっていいなあ、としみじみしている、とゆーことは、私にもそれなりに目標ができたのであった。めでたい。

静岡県詩人会の集まりがあって、真面目な話のあとはいつものように宴会で(しかも宴会場はなぜか結婚式場で)、会長が「おまえなんかやれ」というので、ビールをがばがば飲んでからマイク握って朗読を一発かました。とちらなかったからいい気分で席に戻ると、それまで目立たなかった和服を着た白髪の女性が、

「あなた声が割れてるわよ」「あ、割れてましたか」「ええ」「すみません・・・お聞き苦しかったですか」「何を言ってるかわからないところがあったわ」「すみません・・・どうすると割れなくなるでしょうか」「それはあなた、自分で場数を踏んで練習するのよ」「はあ」

で、それからその女性は、なんだかものすごくうまいことを言った。ここらへんが私のあほーなところなのだが、実は、何を言われたか覚えてないのである。ああほんまにあほやなあ。とにかくものすごくうまいことを言われた。しかもその「うまいこと」は、見事に脚韻を踏んでいた。で、感心した私は「わあ脚韻踏んでますねーすてきですー」とかなり酔っぱらって言った。すると女性はにっこり笑って答えた。

「だって、あなた、詩人ですもの」

どどどどどんと石礫が私の頭の上に落ちてきた。私は目を丸くして見返したとおもう。詩人会に所属しているのだから、みんな詩人なのは当たり前だが、私はこう平然としかも誇らしく「詩人ですもの」なんて言えない。いまは言えない。詩を書くのは恥ずかしいことだというへんてこな自縄自縛から、私はまだ逃れられない。でもいつか。

私は和服を凛と着こなした白髪の老女にはなれないと思う。そんなタイプではない。いま老人と呼ばれる世代が味わったような苦労も知らないから、人格的に立派な老人になれるとも思えない。そのころ立派な詩を書いてるとも思えない(いまだってろくな詩かけてないのにさ)。だけど、いつか言ってやるのだ。朗読一発かましていい気になってる若いのをつかまえて、平然と微笑んで誇らしく、

「だって、あなた、詩人ですもの」

だから長生きするべく、もう寝ようと思うのだった(すでに3:00だってばよ)。


散文(批評随筆小説等) 詩人ですもの Copyright 佐々宝砂 2005-07-07 03:12:52
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