鈴木いづみが教えてくれた
佐々宝砂

「ケメ子の歌」を聴いて笑うのはかっこわるい。「帰ってきたヨッパライ」を聴いて笑うのもかっこよくない。音楽聴いて笑うなら「君だけを」だ。マジメに歌ってるやつを笑って愛でるのだ。それがキャンプだ、と鈴木いづみが教えてくれた。

私はGSをリアルタイムで聴かなかったので、鈴木いづみの言うことが全部わかったわけではなかった。そのころ世間ではチェッカーズが流行り始めていた。YMOはだらだらとテクノをやっていた。鈴木いづみに言わせると、テクノしか新しいものがないからしかたなくテクノをやっていたらしいけど、ほんとうかどうか私は知らない。今の私の目から見ると、チェッカーズもテクノも大笑いできる素敵におバカなシロモノだ。

古いものを笑うのはかんたんだ。「美しい十代」なんか聴いてみろ、大爆笑ものだ。でも「美しい十代」はヒットした曲だ。今では想像もできないが、マジメに人気があったのだ。流行っている最中に流行を疑うのはむずかしい。若いとさらにむずかしい。80年代当時の私は「美しい十代」を大喜びで笑い転げて聴き、チェッカーズを指さして笑ったが、YMOやクラフトワークを笑えなかった。DEVOも笑えなかった。テクノはただかっこいいと思った。私も時代に騙される人間だ。それは認めざるを得ない。

私は90年代あたりから時代の流れに沿わなくなった。年齢のせいかもしれないし、時代の色彩が私好みでなかったせいかもしれない。どちらかというと後者のような気がする。KANの「愛は勝つ」が流行ったとき、私は、うまく説明できないけど背中がむずがゆいようなちくちくするような、きなくさいような、とてもいやな気分を味わった。でもあれはコミックソングだもんね、と思えば少しは気が楽だった。しばらくたって槇原敬之の「どんなときも。」が流行った。私はあの曲がとてつもなく嫌いだった。それからまたしばらくたって、岡本真夜の「TOMORROW」が流行った。私はあの歌がほんとに気持ち悪くて気持ち悪くて、でも笑うに笑えなくて、とても息苦しいと思った。その息苦しさ気持ち悪さは今も続いている。

鈴木いづみならどうしただろう、と考えてみる。「世界で一つだけの花」以前のSMAPなら大喜びで聴いたかも。他のアイドルの曲も、曲によっては大喜びしたかも。でも。でもでもでも。私には、ミスチルやポルノグラフィティーや浜崎あゆみを笑う勇気がない。それどころか、いまだに、「どんなときも。」と「TOMORROW」を笑う勇気すら持たない。鈴木いづみはこの時代に息ができるだろうか、彼女は自殺したが、私は生き抜くつもりなのだから、とにかく息をしてゆかなければならない。鈴木いづみにだけ頼ってはいられない。


今思いだしたが「それが大事」という曲もあった。あれも虫酸が走るほど嫌いだ。

キャンプの意味がわからないヒトは
http://www.dnp.co.jp/artscape/reference/artwords/a_j/camp.html
を読むこと。それでよけいにわからなくなっても私は知らぬ。


散文(批評随筆小説等) 鈴木いづみが教えてくれた Copyright 佐々宝砂 2005-07-04 01:43:26
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