鱗坂
岡部淳太郎



嵐の夜の、その翌朝、ひるがえるはずのない翼の夢に目醒めて、少年は歩き出した。岬の奥の家から、岬の先端の、海を臨む小高い丘陵へと。四年に一度の大きな時化の夜。その騒乱を波の背中に残して、空はひるがえるはずのない、青空だった。少年が歩く、松並木が突端までつづく坂には、大量の魚が打ち上げられ、路上は無数の鱗で光っていた。漁師たちの労苦をせせら笑う、死魚の空洞の眼差し。まぶたのないその円すぎる眼の向こうで、空は泣きも笑いもせずに、ただ一種の諦念のように鈍く広がっていた。



四年に一度の、伝説の夜。怒りくるう波濤に、葉の船は揺れて没したが、坂道の傍らに並び立つ松の木の、固い実は落ちることなく、執念のようにぶら下がっていた。路上には鱗が、ただ光を反射するだけの鱗が、無数に散らばっているというのに、そうまでしてつかまっている、濡れることのない信念。少年は、彼は遠い昔に母を亡くしているのだが、夜毎寝床を濡らしながら、純真な後悔を育てていた。少年が歩く、突端に向かって上る坂道。それは淡い物語のために用意されてあった。濡れるはずのない空。それは、歌を吐き出した後の痛みで、純粋に乾いていた。



空の雲が翼のように見えた朝。そこに飛ぶ鳥の姿はなく、坂には大量の魚が打ち上げられていた。振り返る暇もない生乾きの死。魚たちの鰓はまだ微かに動いており、少年は胸を上下させて、ひたすら坂道を歩いた。少年は、彼は遠い昔に母を亡くしているのだが、振り返る暇もない生の未熟さの中で、彼は路上に散らばる鱗を、一枚一枚丁寧に拾い集めていった。新しく作り出される伝説。あるいは迷信。波の静けさを遠いことのように感じながら、少年は母を思って鱗を拾いつづけた。



鱗を千枚集めれば
お母さんが帰って来るんだよ
本当だよ
鱗を千枚集めれば
死んだ人が戻って来るんだよ
本当だよ



少年の父は長い漁に出て、いまだ戻らなかった。あるいは四年に一度の、この奇蹟のような嵐の中で、父の乗る船も一枚の木の葉のように沈んだのかもしれない。岬の奥の村に住む人びとは乾いた眼差しで少年を見て、この新しい迷信のために沈黙を開いた。坂の傍らに並び立つ松の木の実は、ただ微かな風に揺れるだけで、いつもと同じありふれた凪の昼に、落ちるはずのないわが身を悔いていた。



無数の魚の鱗で光る坂道。それは敷きつめられ磨き上げられた道のようであり、空へつながるゆるやかな通路のようでもあった。少年は鱗を拾い集め、それを小さな掌に掴んでは零し、またそれを拾い上げ、腰の曲った老人のように、ゆっくりと歩いていた。路上に横たわる死魚のそれのように、少年の首筋がもうひとつの呼吸のようにぴくぴくと上下した。繰り返すことを厭わない愚かさの中で、少年は成長しつつあった。いつもと同じありふれた凪の昼。繰り返すことを無償の労働として、少年は母を忘れてひたすら鱗を拾い集めつづけた。



そして、ふたたびの航海。ふたたび四年に一度の時化の夜。少年は坂を上りきらないまま、あの時のままで年老いる。集めつづけた鱗はいつしか皮膚にはりつき、少年は少年の時を喪失したままでその場に倒れる。傍らの松の実は相変らず落ちることなく、乾いたままで時の証人となる。少年は海を見ていながら海に入ることなく、言葉を持たない死魚となる。母はついに帰って来なかった。父でさえも。鱗に満たされた坂の説話は、岬の奥の村でやがて語られる。ひるがえるはずのない翼。空の夢。海と空の、その青さは恩寵のごとく、塩辛い。



(二〇〇五年六月)


自由詩 鱗坂 Copyright 岡部淳太郎 2005-07-02 22:59:14
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散文詩