五十三回目の夏に
狸亭

夏の空には白い雲がながれ
暗い緑色の湖にうつる木々
幼い想いを秘めた草いきれ
揺れて動く昆虫の青い狂気

母と若い二人の姉とぼくを
残して夏の日父親は死んだ
集まった縁者は皆知らん顔
ぼくの田園生活は終わった

上京した上野駅の酷い混雑
見知らぬ土地の人波の中で
立ち尽しているぼくは憂鬱
夢中で多くの街を横切って

やっと捜しだした叔父の家
女主人の冷い仕打ちに怒り
飛び出して淋しく吹く草笛
くすんだ赤提灯点る裏通り

見知らぬ男から親切な誘い
ぼくはついほろり涙を流す
男の部屋で教えられた性愛
日毎夜毎回り狂う回転椅子

肥った男の職業は大学教授
ぼくは個性の無い一銀行員
唇に鮮やかな濃いルージュ
大きな鏡に映るラヴシーン

別れの夏は突然やって来た
遠いロンドンからの便りは
「都合で帰れない」だった
追いかけるように国際電話

「共同研究者がきまったの
こちらに永住することにね」
胸は高鳴るグランドピアノ
その夜は大酒のんで独り寝

無理やり引き裂かれて以来
忘れられない面影を抱いて
独り暮らす日々は恐ろしい
尋ねてみようか思いきって

優柔不断のぼくには無理だ
ロンドンはあまり遠すぎる
銀行員の平凡な日は過ぎた
胸の奥にはアバンチュール

田舎の母もすっかり老いて
若かったあの二人の姉達も
いまではそれぞれに嫁いで
平凡な暮らしそれにしても

いつまでも都会に独り暮す
家族のこと気になるらしく
なんども結婚話を繰り返す
女ぎらいのぼくは二重人格

通勤時のラッシュアワーの
地下鉄で見かけた人がいる
優しそうな顔で肥り気味の
あっと思った「先生がいる」

見れば見るほど先生の風貌
彼電車の中ではいつも読書
全身が熱くなりめぐる思考
ずきずきとうずく固い局所

ある朝階段でチャンス到来
寄り添った男の前で若い女
脚を踏み滑らせて愛想笑い
「危ないね」と仕掛ける罠

その日からは毎日待ち伏せ
朝な朝な「おはよう」挨拶
ごくごく自然に顔を合わせ
思い描くたのしい偕老同穴

ばら色の空想の日々二ヵ月
やっと勤め帰りの男を誘い
焼き鳥屋で飲みながら観察
ぼくは酔うほどに狂おしい

それはそれは不思議でした
だってこんなことは初めて
都営新宿線神保町駅でした
小柄な目の細い奇妙な相手

いきなり話かけてきて毎朝
同じ時間に挨拶する変な男
職場や我が家でも語りぐさ
淋しがりやの繰り返す妄語

「死にたい」などと口走る
身の上話でも聞いてみるか
暇をみつけてボルガに入る
どうも彼の日常は四面楚歌

五〇人ものOLにかこまれ
煙草も吸えない職場にいて
話す仲間もいない明け暮れ
結婚はと問うと「女は苦手」

ああ二人っきりになりたい
帰ろうとする男の腕をとる
優しい男の胸に顔埋めたい
もう夢中全身を血がめぐる

真夏の夜の都会に浮かぶ城
もつれあった二人の男の影
掛違う恋ごころと仏ごころ
エロビデオTVの色仕掛け

充血した目剥き出しの陽根
興醒め顔の男の酔眼に映る
二人の男趣味の違いは歴然
一瞬の終末のファスチバル

巡り来た五十三回目の夏に
思いもかけない体験でした
西新宿の行きつけの酒場に
辿りついて物語をしました

(押韻定型詩の試み 1)



自由詩 五十三回目の夏に Copyright 狸亭 2003-12-08 10:15:05
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