目覚めよと呼ぶ声の聞こえ
佐々宝砂

かあさんは裏庭にチガヤを植えなかった。
壁を緑に塗らなかった。
とうさんは健康的に山を登り、
かあさんは家で本を読み、
かあさんはおもての庭に紫陽花を植え、
家の壁は地味な灰色に塗られた。

ながされてきたのよ。
おおきな波。
しろくあわだつ波、
チガヤの穂のような、
しろくなめらかなこまかい泡の波、
秋には赤く染まる波。
帰りたい、帰りたい、
でも、おまえがいるから帰らない。
風に耳を澄ませなさい。
おまえには聞こえるはず。
わたしにはもう聞こえないけれど、
おまえにはまだ聞こえるはず。
覚えておきなさい、
七回目の大波がきたときに、
乗り遅れたら、
もうおしまい。

わたしの裏庭にはチガヤがない。
わたしの壁は緑ではない。
わたしの夫は健康的に釣に出かけ、
わたしは家で本を読み、
わたしはおもての庭に忍冬を植え、
家の壁は薄いベージュに塗られている。

夜半に目覚めるたび、
視界いちめんに黄色と黒の市松模様、
アール・デコ調のそれが、
かあさんの言った波とは思えない。
思えないけど、
もしかしたらそうかもしれない。
風に耳を澄ませば、
かすかに海鳴り、
あれは、
あれはほんとうにそうなのかもしれない、
でも何度目かわからない。

目覚めよと呼ぶ声の聞こえるはずもなく、
わたしはここにない目を閉じる。



キャロル・エムシュウィラーへのオマージュ


自由詩 目覚めよと呼ぶ声の聞こえ Copyright 佐々宝砂 2005-06-23 13:22:03
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