縁取られる光、闇に消えていく思い出
チャオ

忘れてきた思い出がある。夜になると、頭の中で記憶と感情が騒ぎ出す。乱雑に、不規則に。忘れてきた思い出が疼きだす。ひっそりと現実をかみ殺そうとしている。いや、現実にかみ殺された感情が、現実を見返してやろうとしているのだ。
それからまもなく、つじつまの合わない夢を見たり、とんでもないことを思いついたりする。急いで枕もとの光をつける。白紙の紙と鉛筆を持ってくる。なるべく的確に、興奮状態をメモする。暗闇の、眠気と戦いながら。

忘れてきた思い出が、白紙に書かれたメモの中に記されている。太陽が地上に光を注ぐための準備をしている。今日が晴れるのか、雨が降るのか、それでも、一日は始まるための準備をする。
人間は眠らない。地球が休んでいるそのときも、テレビのコンセントを差込み、スイッチを入れてやれば、顔立ちの整ったアナウンサーが、今日の出来事と昨日の出来事、遠い国の出来事と、自分の国の出来事をいろんな表情で話している。
寝起きにコーヒーを入れるまもなく、枕もとのメモに目を通す。走り書きにもならない乱雑なイメージがそこにあって、すでに、夜の興奮はそのメモからは抜き取られている。ただ、体は覚えている。夜の興奮の残り香を。
苦笑いをして、シャワーを浴びにいく。鏡に写った髭を丁寧に剃る。冬よりも幾分冷たく設定した水温で頭を洗うと、朝に忘れていく言葉の群れが決まる。限られた言葉だけ。、今日もいくつかの単語を駆使して過ごすだろう。忘れられ思い出は、まだ日の目を見ない。

草原とか、海原とか、絶壁とか。そんな幻想的な世界はどこで生まれたのか。電車に揺られながら人ごみの景色を眺めている。
もしも世界がすべて海原だったら、海底で生活したりするのだろう。そこは未知の世界ではなく、幻想的なものではなく、日常の生活の、ありふれた世界になるのだ。
電車はいつものどうり。変わり続ける世界に対応して、変わらない日常を運ぶ。目の前に素敵な女性が乗っていても、有名人が乗っていても、世界は止まらない。つまり、電車も止まらない。思い出から削除されていく人々の顔がそこにある。人々の匂いがそこにある。
絶壁で想像する人に出会う機会がない。それで、人生が幕を閉じても、決して不十分な人生なんかじゃない。太陽の熱を感じるときがあれば、曇り空のはっきりしない空気を吸い込まなければいけないときもある。それでも、ここは絶壁でも、海原でも、草原でもない。そこに住んでいる人がいて、それを羨んでいたとしても、同じことだ。コンクリートで囲まれた、お金という価値を欲しがる人だっている。だから、忘れてきた思い出をしっかりと覚えておくべきだ。すでに忘れてはしまったとしても。

太陽が沈んでいく。思い出は忘れられていく。今日がいくつも消えていく。言葉として残された感情が、出来事が、つながりを見出していく。明日へ、世界へ、幻想へ。限られた記憶が体中を貪る。忘れてきた思い出が発起していく。体が覚えている興奮を思い出すために、憂鬱になったり、怒りがこみ上げてくるときもある。
どこかに立ち寄って一日に雰囲気をつけたい。そう思っても、財布は許さない。家に帰り、テレビのスイッチを入れると、街角で見かけた顔が勢ぞろいしている。大きな看板の顔が脳みその細胞を牛耳っている。ため息なんかつかない。座りけた腰を再びあげる。忘れられた思い出がある。光に当てられない感情がある。やるべきことをリストアップして、他人のことを羨んだりして、ようやく今まで生きてきたのだと、誰かの耳元でささやいて。
世界に住所がある。メモ書きされた昨日の紙には小さな番号が記されていた。規制された世界が欲しいと、約束された世界が欲しいと、前に進むことを恐れている。
メモに残された興奮が、次第に蘇って来る。テレビを消す。大きな看板の、大きな顔を見すぎた。忘れ去られた思い出を再び思い出すことはない。

銀色のコップに作り置きした麦茶を入れる。画面の消えたテレビのまえ。反射した自分の姿が見える。鉛筆を回しながら、知ったかぶりのリズムをとっている。


散文(批評随筆小説等) 縁取られる光、闇に消えていく思い出 Copyright チャオ 2005-06-22 04:50:01
notebook Home 戻る