『Alice』
川村 透

Aliceと書いてアリサと読むの、
と女は言った。
黒の手袋をベッドサイドに垂らし人工の月明りの中で背中を見せる
のは初めて、
と女は薄く笑う
きしむ音はチークの椅子かチープなベッドかそれとも、
なの、
え?
女の言葉を聞き漏らした僕は黒のレザーのドレス、その背中に棲む頚骨から
腰骨までの尖った蛇のうねりに目を奪われた
のも初めて、
なの、
かもな。
河の、ヨウナモノ、ノナカ、デ。
ナカナイデと唄う君、真昼のセレナーデか、ブラフなYou・撃つ、か。
煙草の煙と阿片じみたコーヒーのあぶく、女たちの銀のオフィスに、
プラスチックなSoul、躁鬱
ドメステックなcall、抗欝
ブラックCatなyou、憂鬱
グラフィックなgirl、嗚咽
リップスティツクに、girl
Kiss me、Kiss me、Kiss me、
だから、
初めから
なの、
オハヨウ
逃げないで
わかっていたわ
傘もなくて、
オゲンキデスカ?
こぼれている
エプロンが
やめないで、
聞コエテル、Kitchen
なぜ?
ナゼダDoll
僕にはわからないワカラナイ、ただ背中のホックに指を這わせ裾からたくしあげると
女の蛇は夜の布に隠れていた姿を覗かせる
細くて白くて狭くてイトオシクテという記号にツキウゴカサレ
手。
短い髪は黒なのか茶なのかドレスを剥かれようとしている果実の背には
ぶつぶつと手にさわる
何かがあった。震えていた。泣いていた。後ろ耳にピアス、銀粉の灰かぶり姫。
僕は女の胸に指を滑り込ませる。
白い肌はかりそめの明りの中で濡れ、揺れ、虹のピンクを
灯しはじめ
手。
初めて女の背中の刺青に気づく
ああ、
夜間飛行する真珠色の機体のように翼を広げて、女の刺青を視るために背中の
ホックを外してゆく指はレザーのジッパーを縦一文字に一気に開き、
目を、閉じてうずうずと僕は刺青をマッピングする爪、で、
粉っぽくちりばめられたざらざらの蒼のトッピングを愛撫し薄く目を開けて、見た。
僕は女の背中にちかちかと瞬く、夜の街を見た
のは初めて、
なの、
と女は動く蛇の冷たさ苦さゆるゆると身をくねらせて刺青の街が、僕を誘うんだ。
僕は女の背中の地図を街をなでさする、目を射るように輝く成層圏から俯瞰した地上
のつぶつぶの銀色オフィスビル、灰色の橋、モルタル臭い駅、つるりとした瓦の家々
緑を断ち切る煙と河、光の道路、碧の木々とミルクと石膏の山肌、藍染めの海、湖、
凍鶴と白浜の砂漠じくじくと膨らんだそのぶつぶつの毛穴、おしろい、の粉までも。
細くて白くて狭くてイトオシクテという記号にツキウゴカサレ
手。
腰から脇へと滑り込む肋骨の円弧に沿ってひきつれた傷跡めいた鉄道の軌条
その先に膨らむ薄い胸の頂きの、<乳首・摩天楼>、の刺々しさを揉みしだきながら
僕は、
女の街に墜ちてゆく両手のないビーナスのように上半身だけの石膏の像となって。
風を切る銀の耳にびょうびょうと渡る鶴の声、ぴん、と張りつめた弦楽器の心地良さ
に包まれながらきりきり舞い落ちる、夜の底はぐるぐると近付くスパイラル・ダイブ
雲を軽やかに抜け、アクリルの小片みたいに濡れた光が、ちかちかちかと大きく育ち
鼠色の街の部品たちが瞬く間にガリバー化して僕を飲み込んでゆくんだくっきりと。
あのオフィスビルが山が木が海が河が瓦がネオンが車がヘッドライトが靴が煙草が。



僕は女の背中の夜の街に舞い降りた両手をなくした上半身だけの石膏の像だった。
月明りの街角、ネオンはモノクロにぼやけ、ストリートの喧噪から外れた物陰の
後ろ暗い路地で、ほの白く硬い僕が呼吸する。
あたりには偏在する女の黒い気配だけが、会った
のは初めて、
と女は薄く笑う、
生臭い夜の天使がその背負った翼の腋の下を
すえた匂いでぷんぷんさせながら、僕という像の堕ちた路地に足を踏み入れ
つぶらな瞳を近付けてくる、みたいな微笑みなんだろうか?
石膏になった僕には、ぼんやりとしか、もう見えない。
黒いビニルのちゃらちゃらした小銭入れ、
じみたレザーの仮面にすっぽりぴっちりと首から上を納めた女の、
デオドラントな裸身が、手袋をなくしたマネキンめいたつやつやしいその腕で、
両手をなくした上半身だけの僕という薄鼠色の石膏像を抱き上げる。
それから女が、仮面のジッパーを横一文字に一気に開く、
とりとめのない地図のように見える顔が現れたかと思うと、
女の顔のカオスは、絵の具を水に溶かした時に似た曖昧さから、
毒蛾の羽模様めいた禍々しい複雑系へと息を飲むような進化を遂げ、

−−あるいは僕の視力が生まれ変わりつつあるためか
−−夜の奥深く女の底に瞬く、黒の灯火=地図記号=街の部品たち

女の顔の藍色のカオスは、昆虫の複眼に似たあまりにも幾何学的な
自堕落な銀色にけぶる瞳になって、僕にキスするように近付いてくるのだ。
銀鼠の灰かぶり姫、鱗粉が夜に舞う。
仮面を脱ぎ捨てると夜の渦の底、舌なめずりする街のざわめきを首から上にたたえ、
女はもう一度薄く笑っ、
手。
両手をなくした上半身だけの僕という薄鼠色の石膏像を抱き締めてくれる。
ああ、
太くて黒くて巨きくてイトオシクテという記号にツキウゴカサレ
手。
女は舌で僕の石膏の体に刺青を彫り込んでゆく、夜の国を。

河の、ヨウナモノ、ノナカ、デ。

舌はことばをさえずるのかそれとも女の国の夜の地図を刻み含み咀嚼する音色
舌ハことばヲサエズルノカソレトモ女ノ国ノ夜ノ地図ヲ刻ミ含ミ咀嚼スル音色

河の、ヨウナモノ、ノナカ、デ。

舌ハことばヲサエズルノカソレトモ、サエギルノカ、咀嚼スル声、凍鶴ノ音色。
太くて黒くて巨きくてイトオシクテという記号にツキウゴカサレ
手。
女は舌で僕の石膏の体に刺青を彫り込んでゆく、夜の国を。

河の、ヨウナモノ、ノナカ、デ、女は、
僕の腕の切断面から乳首まで肋骨の円弧に沿ってひきつれた傷跡めいた鉄道の軌条
みたいに彫り込まれたピンク色の、そのコトバを、さえずるように、読む。


Aliceと書いてアリサと読むの、





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2001/05/08 ver 1.25【再改訂】
2001/04/04 ver 1.24【改訂】 FPOEM MES5 2001/04/04 #28189
2001/03/20 ver 1.23 初出FCVERSE MES1 2001/03/20 #04901

【BGM】 『冷たい海』 by Mai Kuraki


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自由詩 『Alice』 Copyright 川村 透 2003-12-06 13:04:52
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