Cafe Le Poete
服部 剛
歪んだ陶器のティーカップに
微かに波打つ紅茶の中で
一塊の砂糖が溶けてゆく
長い間 抱えていた悩みのように
「着々と時間が解決してるじゃないですか」
カウンターでワイングラスを拭きながら
うつむいた微笑みで呟く髭のマスター
〜
若い頃のマスターがヒッチハイクをしたフランスで
車から降ろされたのは田園風景広がる片田舎
やがて日は暮れ宿も無く長い夜を過ごした後
橋の袂の石垣に凭れていたら
明け方の畑に挟まれた小道の向こうから聞こえて来るエンジン音に
残る力を振り絞り右手を挙げた
旅の最後に辿り着いたセーヌ川の畔で
ホームレス達は楽しげに酒盛りをしており
独り身の旅人は笑い声に吸い込まれ
地べたに腰を下ろし盃を交わした
少し濁ったグラスにワインをそそいでくれた初老の男は
皺を刻んだ頬を緩めて
「若いの、今日という日を楽しもうや・・・」
と言ってグラスを重ねた
〜
マスターの旅の話が終わり
「おやすみなさい」
と言って店のドアを開いた後
少し歩いて振り返ると
ドアのガラスの向こう側で
今日最後の客がいなくなり
がらんとしたセピア色の空間の
カウンターに凭れたマスターは
手にした古いワインのラベルを
懐かしそうに眺めていた
「Cafe Le Poete」
日々の仕事にくたびれて
とぼとぼ歩いて帰って来ると
夜道の向こうにはいつも
ドアの上から辺りをほのかに照らすランプ
消えることない 夢の灯火